「長崎は私の一部」

 ロープウエーに乗れると思うとワクワクしたらしい。〈稲佐行きは大旅行のような気がしたのだった。何日も前から楽しみにしていた〉。ノーベル文学賞を受けた長崎市生まれの英国人作家、カズオ・イシグロさんの長編第1作「遠い山なみの光」(小野寺健さん訳)にこんな一節がある▲名誉県民、長崎市の名誉市民の称号を受けたイシグロさんは、ロンドンでの授与式でこう述べた。「カナダやスイスのケーブルカーに乗れば、家族と稲佐山に登ったことを思い出します」。5歳まで過ごした長崎の記憶は今も、ふとよみがえるという▲その言葉には親近感を超えた、長崎との一体感も込められる。「長崎は私の一部だ」「心は長崎を離れていない」と▲母が被爆者であることも一体感に通じるらしい。「遠い山なみの光」は被爆後に復興していく長崎を舞台に描かれた▲記憶は薄らぎ、時に変容するものだ、とイシグロさんはよく言う。長編小説に挑むことは、心の原風景の長崎を筆でつなぎ留める営みだったのかもしれない▲約束はできないが、長崎に「とても行きたい」と話したという。気が早いけれど、実現の折にはもちろん、昔日の長崎をたどっていただきたい。原爆の記憶を誰が、どうつなぐのかが問われる被爆地の今の姿にも、どうか触れていただきたい。(徹)

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