13年ぶりの実戦でも驚愕の走りを見せた2輪レジェンド坂田和人「これからも生涯現役」

 6月30日~7月1日に筑波サーキットで開催された全日本ロードレース選手権第5戦。このラウンドで一番注目を集めたと言っても過言ではないのが、坂田和人のJ-GP3クラスの参戦だ。2レース制で行われた今ラウンドで残したリザルトは、レース1で10位、レース2で5位というものだった。

「無事に終えることができてホッとしている部分と逆にもっとできたのでは、という気持ちもありますね。自分のなかで4ストロークという概念が強すぎて、セッティングの方向性が間違っていたと思う。一度間違えた方向に行ってしまうと、そこで模索してもいい答えは、見つからないからね」と坂田。

 今回の参戦の趣旨は、坂田が校長を務めているMFJロードレースアカデミー、MuSASHiスカラシップに参加している子どもたちにレースへ臨む姿勢を見せて欲しいという要望に応えたもの。しかし、満足行く状況でなければ、レースには出場しないというスタンスだった。そんな坂田を無条件に応援したのが昭和電機株式会社だった。

 1999年シーズンで世界を退いてからは、後進の育成に尽力してきた坂田。その間、全日本にスポット参戦したことはあるが、それも13年前のことであり、まだ2ストローク時代だった。スクールやインストラクターでオートバイに乗る機会は多いが、実戦となればまったく違う。中途半端なことができない坂田がやると決まれば全力を尽くす。それが限られた環境であっても、可能性を追求して行く姿勢は、今回もまったく変わりはなかった。

 第5戦の前週に行われた参加者向けの特別スポーツ走行が2日間あった。その初日は、ヘビーウエットとなったが、そこで坂田は転倒を喫してしまう。それも最終コーナー立ち上がりでハイサイドでだ。この転倒で坂田は、全身を強打し、股関節を痛めてしまう。

「かなり雨の量が多かったのは分かっていたけれど、トップタイムを出すチャンスだったので攻めて行った。結果的に転倒してしまったけれど、自分の責任だから仕方ない」

 坂田は痛む身体にムチを打ちながら走行を続け、マシンをセットアップして行く。レースウイークでも股関節の痛みは引かずにいたが、もし身体が完璧なら、もっと速く走れたのでは? という疑問を投げつけてみると……。

「大排気量マシンなら影響があるかもしれないけれど、軽量級なんで、ケガがなくてコンマ5秒も変わることはないよ。痛みは走る前より走った後の方があるけれど、以前は脊椎圧迫骨折した状態で走ったこともある。痛覚には強い方だと思うし、ケガをしたのは自分なので、言い訳にはしたくないよね」

 と、これぞ坂田! というお答え。51歳になっても、腹筋はシックスパックに割れているほど、体型を維持しており、厳しい暑さとなったレースウイークも、体力的な問題は感じさせなかった。初日の1本目は2番手、2本目で4番手となるが、タイム差以上に走りの差があると坂田は冷静に自分自身を分析していた。

藤原克昭、加賀山就臣も坂田の応援にかけつけた

 筑波ラウンドは、2レース制で行われ、土曜日に公式予選とレース1、日曜日にレース2というスケジュールだった。予選順位は、レース1が9番手、レース2が13番手。この段階で、自分自身の順位が、ほぼ見えていた坂田は、レースを走りたくなかったと言う。下位を走る元世界チャンピオンの姿を見せたくなかったからだ。そこでハルク・プロの本田重樹会長に相談したところ「とりあえずレース1だけ出てみたらどうだ? レース1を走ってみてからレース2に出ることを考えてみるのは」と答えが返ってきた。長年レースを戦ってきた本田会長にアドバイスをもらい、坂田はグリッドに向かったのだった。

 レース1は、坂田の予想通りの順位となり10位。レース2に向けてリアサスペンションをノーマルからオーリンズ製に変更。これはセンター出しマフラーだと、ノーマルサスのリザーバータンクが熱されてしまい、その状態で連続ラップをするとサスの動きが変わってしまっていたからだ。この症状が出てしまうと、数日間経たなくては、正常な状態に戻らない。これは、レースウイークで急激に気温が上がったことと連続ラップを行ったことにより、さらに悪化したのだ。

 朝のウォームアップ走行は僅か15分。その間にサスセットをまとめ、レース2に臨んだ。スタート直後の1コーナーでは、目の前で岡崎静夏がハイサイドで転倒。直後にいた高杉奈緒子が巻き込まれる多重クラッシュとなる。坂田は、すかさずイン側にマシンを寄せるが軽く接触したと言う。このアクシデント回避も冷静そのものだった。

世界チャンピオンらしい戦い方を見せた坂田和人

 赤旗中断後、20周から13周に減算されて行われたレース2。レース1に比べ、マシンの状態はよくなり、3台のトップ争いが見えるポジションで周回を重ねる。レース終盤に前を走る中島元気にアタックするが、抜くところまで行けないと判断した坂田は、ポジションキープに切り換える。この辺りは、自分自身の状況を冷静に判断し、着実にゴールするという世界チャンピオンらしい戦い方だろう。最終ラップの1コーナーでは菅原陸が目の前で転倒。ひとつポジションを上げ5位でフィニッシュした。

「限られた環境のなかでは、精一杯やれたという気持ちです。その反面、もっと環境を整えることができれば、さらに上位を走れたという気持ちが交錯しているかな。世界GPを退いてからも“引退”という言葉は一度も口にしていなので、これからも生涯現役です。今回のレース参戦において、まだまだ勉強すべきことが、たくさんあると感じ、とてもいい経験ができました。柏木社長を始め昭和電機の皆さん、本田会長を始めハルク・プロの皆さん、そして応援してくださったすべての皆さんのおかげです。本当にありがとうございました」

 13年ぶりの実戦とは思えない、すばらしい走りにサーキットに集まった関係者やレースファンの拍手は鳴り止まなかった。生涯現役と宣言した坂田が、また全日本に参戦してくれる日を心待ちにしたい。

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