『FourFourTwo』は「クラブチームよりも代表でいいプレーをした9名の選手」という記事を掲載した。
選手は環境によって活躍が変わってくるもので、代表の方がうまくプレーできるという者も時々生まれる。
そんな珍しい9名の選手とは?
ルーカス・ポドルスキ(ドイツ)
「ポルディ」はバイエルン・ミュンヘンやアーセナルにとって、それほど大きな失敗ではなかった。
クラブでのキャリアを考えれば、歴史上最高クラスの選手とは言えない。ただ、それは統計上のことだ。
多彩なアタッカーはドイツ代表で130capを記録し、ローター・マテウスとミロスラフ・クローゼに迫る3位だ。49ゴールもクローゼとゲルト・ミュラーに次ぐ数である。
エドゥアルド・バルガス(チリ)
「代表チームのほうがいいプレーができる理由が分からない」と彼本人が言ったことがある。
チリで最も人気がある選手の一人で、代表チームでファンを失望させたことはほとんどない。
ただ、ヨーロッパではナポリ、バレンシア、QPR、ホッフェンハイムで惨めに失敗し、ほとんどまともにプレーすることができなかった。
マウリシオ・イスラ(チリ)
イスラは世界のトッププレーヤーになる可能性があった選手だ。ウディネーゼでは活躍を見せ、代表でも中心的な存在だった。100capを獲得しており、2回のワールドカップに出場した。コパ・アメリカも2度優勝した。
しかしウディネーゼを去った後、彼のクラブでのキャリアは下降線を辿る。ユヴェントスでベンチを温め、QPRで失敗し、マルセイユでも微妙だった。
カリアリで平凡なシーズンを過ごした後、現在はフェネルバフチェでプレーしている。もっと成功できたはずの選手だが…。
アンゲロス・ハリステアス(ギリシャ)
新世代のストライカーとして期待され、EURO2004の決勝ではポルトガルを破ってトロフィーを掲げた。
ギリシャの歴史上2位の得点数を持っており、代表チームでは常に信頼できる存在だったが、クラブでは常に今ひとつであった。
ベストシーズンである2002-03でも9ゴール。彼がキャリアで一度も2桁を決めたことがないのは、あそこで運を使い果たしたからなのか。
アリョーシャ・アサノヴィッチ(クロアチア)
クロアチアのサッカーファンに彼のことを尋ねれば、アサノヴィッチがどれだけ偉大かを滾々と語ってくれるだろう。
1990年代後半にクロアチアが収めた成功において、彼のパスは必要不可欠なものだった。ボバン、プロシネツキ、シュケル、ボクシッチ、ヤルニ、彼らと比べても決して劣らない。
しかし、一般的なファンは彼のことをほとんど知らないだろう。モンペリエ、ダービー・カウンティ、ナポリ、パナシナイコスと、クラブでの実績が一流ではないために。
ファビオ・グロッソ(イタリア)
2006年ワールドカップの準決勝、イタリアとドイツが戦った試合の延長戦で彼が決めたゴールは、誰も忘れることがないものだ。
また、決勝戦でも重要なペナルティキックを獲得し、イタリアにトロフィーをもたらした。
ただ、大会後にインテルに入団した彼はあまり成功できず、それから移籍したリヨンとユヴェントスでもそこまでインパクトを残せなかった。
アンデシュ・スヴェンソン(スウェーデン)
スウェーデンの歴史上最も代表キャップが多い選手は誰か?おそらくほとんどの人がスヴェンソンだと答えられないのではないか。
148もの出場を果たした彼は、2002年でアルゼンチンを破るフリーキックを決めるなど、いつも重要なところで活躍してきた司令塔だった。
ただ、彼はキャリアのほとんどをエルフスボリで過ごし、国外ではサウサンプトンで4シーズンプレーしただけだった。控えめなところが彼らしいとも言えるが。
アサモア・ギャン(ガーナ)
ガーナにおいては、ギャンは歴史上最高の選手だ。106試合で51ゴールを決めており、トニー・イェボアやアベディ・ペレと同じ序列で語られる存在である。
また、2010年のワールドカップでルイス・スアレスのハンドから得たPKを外してしまったことで、悲劇のヒーローにもなった。
しかしクラブレベルではレンヌ、サンダーランドでプレーし、成功する前に中東へと去ってしまった。金持ちにはなったが、その後はヒーローになりきれていない。
セルヒオ・ロメロ(アルゼンチン)
2013年以降、モナコ、サンプドリア、マンチェスター・ユナイテッドで常にサブキーパーとなっている。
しかしその間、彼はアルゼンチン代表の守護神として2014年のワールドカップに出場し、コパ・アメリカでもゴールマウスを守った。
ロメロは単純にいってトップクラスの選手だが、サブの立場を受け入れられるという才能まで備えてしまったのか。