『背中の地図』金時鐘著 人の痛みを痛む詩人

「時代」という魔物は、自らの記録者を選び、その首根っこをつかまえて離さない。選ばれてしまった詩人や作家は、その運命を黙って受け入れ、苦難の道を歩むしかない。金時鐘はそういう書き手の一人だと思う。

 日本統治下の朝鮮に生まれ、皇国少年として育った。済州島で終戦を迎え、世界が反転する。「敗戦」ではなく「解放」だったのだ。朝鮮に押し戻されて母国語を学んだ。その後、済州島4.3事件の渦中に放り込まれ、命からがら密航船に乗り込み日本に来た。そして「故郷を捨て、日本に逃げを打った」という罪障感を抱えながら「在日」を生き、詩を書いてきたのだ。

「ぼくは(略)/病魔にあえぐ/故郷が/いたたまれずにもどした/嘔吐物の一つとして/日本の砂に/もぐりこんだ。/ぼくは/この地を知らない。/しかし/ぼくは/この国にはぐくまれた/みみずだ」(「新潟」)

そんな数奇な運命を生きてきた金時鐘がこの春、東日本大震災をテーマにした詩集「背中の地図」を出版した。それを読むと、大震災からも選ばれてしまったらしいことが分かる。

「失くした季節」で高見順賞に決まった金時鐘は2011年、奈良県の自宅から贈呈式のため東京へ行く途上、新幹線の中で震災に遭う。「峻烈な啓示」に選ばれたと感じた。「放射能汚染という、通常の生活ではまみれるはずもない人工的災禍に追われた人たちの、怒りと困惑の底で醸されている人間的悲しみをわが物としたい」と詩をつづった。

 そう、この詩人は人の思いをわがものにしようとするのである。海の底の命に目をやり、瓦礫となった物たちの身になる。

「海の底で泥まみれの磧(かわら)の下で/土砂につかえた動けぬ命が噎(む)せている。/息せききった村人たちの懸命な手を待ちながら/拉(ひし)げて固くなっていっている。//壊れた物たちよ、/欠片となり瓦礫になり/砕けた鏡の破片となって/ついに静かになった無辺の沈黙よ」(「禍いは青く燃える」)

 そして被災地に思いを馳せ、見知らぬ誰かを見捨てていることに自責の念を覚えるのだ。

「そこへはまだ行ったこともないのに/なぜか大事な何かを忘れてきた気がしてならない。/夜ともなれば列車はきまって三陸海岸を逆のぼり/無人駅にも桜は例年どおり舞っていて/そこでもまた私は/朴訥な誰かを見捨ててしまっている」(「夜汽車を待って」)

 金時鐘は「序詞」で、東北・三陸海岸を本州の背中にたとえ、「その瞬間、まざまざと/自分の背中に亀裂が走るのを覚えたのだ」(「背後は振り返れない」)と刻んだ。

 人の痛みをわがものとして痛むのは祈りであり、詩である。「人間の思いをまことあざなっていける詩が、書きたい」と記す金時鐘は、「時代」に選ばれた運命の詩人なのだ。

(河出書房新社 2500円+税)=田村文

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