新長崎学研究センター共同研究集会 世界遺産登録 意義を論議 禁教時の墓制変化報告 潜伏キリシタン 「命懸けの信仰」疑義も

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 長崎外語大の新長崎学研究センター(姫野順一センター長)は6月27日、長崎市横尾3丁目の同大で本年度第1回共同研究集会を開いた。「『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』の世界遺産登録の意義」をテーマに研究発表があった。
 登壇したのは、大浦天主堂キリシタン博物館研究部長の大石一久氏と、同大非常勤講師の宮崎賢太郎氏。
 大石氏は、潜伏キリシタンが多くいた外海地域に見られる墓の特徴について紹介。禁教期前は遺体をあおむけに寝かせて埋葬する長墓が信徒の間で普及したが、禁教期は仏教徒らと同じように座った姿勢で埋葬する仏教墓が一般的になった。「墓制は強固な伝統文化。変わるときはなんらかの強い刺激がある」と説明。
 キリシタンの取り締まりが厳しかった大村藩領の外海地域も、禁教期の墓は全て仏教墓が残っているが、禁教令が解かれた1873(明治6)年以降の墓はキリシタン長墓が確認されるという。
 一方、外海地域のうち、佐賀藩深堀領の飛び地になっていた6村では、畝刈村の垣内地区(現長崎市多以良町)などで禁教期のキリシタン長墓群が見つかっている。大石氏によると佐賀藩はキリシタンへの取り締まりが緩やかで、踏み絵もしないほどだった。「外海の潜伏のメインとなる場所は深堀領の飛び地であると考えられる」と述べた。
 また潜伏を維持できた要因の一つとして、6村の檀那寺だった天福寺(樫山町)の存在を挙げ、「明らかに潜伏キリシタンであることを前提に檀家(だんか)として受け入れている。寺請制度が逆に利用された事例として大変興味深い」と語った。
 宮崎氏の発表では、世界遺産登録で焦点となった潜伏キリシタンについて、命懸けでキリスト教信仰を守ったとする一般的な見方を否定。「実像ではない」として、その現実性に疑問を投げ掛けた。
 宮崎氏は、構成資産のある地域で守り伝えられた信仰が、全て戦国時代のキリシタン大名が強制的に改宗させたものであること、またそれを字も読めないような人々が宣教師のいない状況で250年も継承してきたことなどを指摘。
 「キリスト教信仰とは見なすことができないと認めざるを得ないだろう。神仏信仰や先祖崇拝と融合したキリスト教的な日本の民俗信仰と見るべき」と持論を述べ、今回の世界遺産登録が、「実像の見方も取り入れた新しい価値観を見いだす契機になっていけばいい」と結んだ。

外海の潜伏キリシタンの墓制について解説する大石氏=長崎市、長崎外国語大
従来の潜伏キリシタンへの見方に疑問を投げ掛ける宮崎氏