カズオ・イシグロさんインタビュー 戦争の記憶 引き継ぐ責任 「何を覚えておくか、どこまで忘れるか」

 長崎県長崎市出身の英国人ノーベル文学賞作家カズオ・イシグロさん(63)が3日、ロンドンで応じた長崎新聞社などのインタビューの詳細を紹介する。5歳まで長崎で暮らしたイシグロさんは、原爆や戦争などの記憶を巡り「私たちの世代には引き継ぐ責任がある」と話す一方、次世代の対立を防ぐ観点では忘れることにも一定の意義があるとの認識を示した。インタビューは同日、現地であった長崎名誉県民、長崎名誉市民称号の授与式後、朝日新聞社と合同で実施した。
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 -原爆をいつ知ったか。

 幼いころ「あの建物は原爆で破壊された」などと人が話しているのを聞いたが、「自然災害」程度の認識だった。だが渡英後、7、8歳のとき学校で読んだ百科事典に、きのこ雲の写真と長崎原爆のことが載っていて初めて理解できた。

 -長崎で被爆した実母の体験談をいつ聞いたか。

 詳しくは私が大学院生のときだった。原爆が題材の短編作品を出し、母に見せると間違いが判明し、母は体験を伝えるべきと考えた。原爆で友人を失ったことや放射線被害についてよく話してくれるようになった。

 第2次世界大戦を生き延びた日本や西欧の人々は減っている。私たちの世代は記憶を引き継ぐ責任がある。ひどいことがいかに簡単に起こるかを知るために。

 -どう引き継ぐべきか。

 14年ほど前、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所の生存者と会い、話を聞いてリアルに感じたように顔を見て話すことが大切だ。ただ記憶は変容する。世代が進んでも同じように伝わると思ってはいけない。若い世代が新鮮に感じられるような伝え方が必要だ。

 人類が何をどこまで覚えておくべきかというのと同時に、どこまで忘れるべきかも大きな課題だろう。例えば米国の奴隷制度の記憶を維持し続けることにより次世代でも対立が生まれている。バランスが難しい。

 -被爆者でも体験を語りたがらない人がいる。

 戦争の最前線から帰還した兵士は話したがらない。第2次大戦では全ての町が苦しみ、市民も最前線の兵士と同じような反応になった。彼らが人生を取り戻しトラウマ(心的外傷)を終わらせるためにも彼らに敬意を示さないといけない。

 -長編小説「わたしを離さないで」(2005年)の題材は当初、現行の「クローン技術」ではなく、「核」だったと聞くが。

 人生が短くなることを作品で描きたかった。私は特に核問題に関心がある。ただ結果的にクローンの方が作品にふさわしかった。

 -日本は被爆国でありながら米国の「核の傘」に守られ、国連で昨年採択された核兵器禁止条約にも署名していない。どう思うか。

 コメントする立場にはないが(条約採択に貢献した非政府組織)ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が昨年、ノーベル平和賞を受賞してうれしかった。世界中に核兵器が存在し機密情報が漏れないようにするのも難しい現代は、冷戦時代より脅威を覚える。ある日突然どこかで核兵器が利用されることがないように核廃絶が必要で、今後も私たちは立ち向かうべきだ。

名誉県民、市民称号授与式で撮影に応じる右から中村法道・長崎県知事、イシグロさん、妻ローナさん、田上富久・長崎市長=3日、ロンドン

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