【特集】教祖「死刑執行」が残したもの タイムリミット(1)

松本死刑囚らの刑執行を報じる東京都内の大型モニター=6日午後

 7人の刑が執行された。地下鉄サリン、松本サリン、坂本堤弁護士一家殺害…オウム真理教による未曽有の事件。首謀者の松本智津夫死刑囚(教祖名・麻原彰晃)は一審公判の途中からほとんど真相を語ることなく最期を迎えた。27人もの命が奪われたという事実、その記憶はずっと遺族、被害者を苦しめてきた。「当然だ」という受け止めから、「治療を受けさせて審理をやり直すべきだった」と語る人もいる。逮捕から23年間、国が示した決断をあらためて考えた。(共同通信=柴田友明)

 白いベール

 朝もやの中を数え切れない捜査車両が走り抜ける。1時間、2時間…途絶えることがない。1995年5月16日未明、山梨県上九一色村(当時)の教団施設に向かう車列を筆者は目で追って、無線で状況を同僚たちに報告していた。松本死刑囚逮捕の日、第六サティアンと呼ばれるオウム真理教の建物への捜索が迫っていた。

 建物前面には、決定的なシーンをとらえようと大勢の報道陣が待機していた。もやが晴れた時、捜査員が建物の裏口に密集しているのが見えた。火花が飛び、電動カッターでドアを切断しているようだった。「あー」。記者、カメラマンたちから悲鳴の声が上がった。朝霧が再び建物周辺を包み、しばらく何も見えなくなった。

 首謀者の松本死刑囚が肉声で事件の真相を語ることなく23年後に死刑執行に至ったこと。警察庁の国松長官銃撃事件をオウム真理教による犯行とした警察の判断など、まるでベールに覆われたように、いくつかの課題や疑問点が残されることをまるで暗示するような光景ではなかったのか。執行の一報を聞いたとき、筆者はそう思った。

1995年9月25日、警視庁に移送される松本死刑囚=東京都千代田区

 元捜査幹部のコメント

 サティアンの内部での捜索状況、松本死刑囚の発見から移送について、当時の警視庁捜査幹部たちから何度も話を聞いた。ここは当時の現場にいて、その後、捜査1課幹部を務めたある元刑事のコメントを記載したい。

 死刑執行のニュースを見たときは、「やはり執行したか」という気持ちでした。死刑執行を先延ばしにする理由が、特に見当たらないと思っていました。それと同時に、様々な場面がフラッシュで思い起こされました。①平成7年3月22日、上九一色村の教団施設に捜索差押えに入ったときの光景②教団施設内で一心不乱に修行している出家信者の様子③第10サティアンで集団居住している人々、子供たちの生活状態④遠藤誠一と土谷正実の研究棟(ジーヴァカ棟とクシティガルバ棟)の様子⑤麻原を発見したときの光景などでした。被害者・遺族にとっては、気持ちを整理する上で、大きな節目となったのではないかと思っています。

 × × ×

 松本死刑囚らの死刑執行について、23年間さまざまな分野でかかわった人たちから話を聞き、その経緯をたどることで今の社会を見つめ直す。

© 一般社団法人共同通信社