麻原教祖を波野進出問題で取材 「不幸襲う」と脅迫も 仮面の教祖 最期は何を

1990年12月1日、熊本日日新聞社で取材を受ける麻原彰晃(左から2人目)。左端は新実智光死刑囚

 教祖時代の麻原彰晃(松本智津夫死刑囚)には何度も会った。素顔の見えない人、あるいは見せようとしない人だった。

 ある時は、得意然として教団拡大の構想を語り、本紙の報道に怒った時は「あなたたちには不幸が襲う」と脅迫した。下世話な冗談を言って笑わせる一面もあった。カリスマ性は感じられなかった。

 ただし、取材するたびに演技的な人格であるという印象を深めた。本人は次第に、正常と演技の境さえ分からなくなっていたのかもしれない。

 東京拘置所に入ってからはさらに混迷を深め、家族の面会にも異常な言動で対応した。「重い拘禁反応を示していた。まだ処刑すべきではなかった」と、面会した精神科医の野田正彰さん(74)は語る。

 今年に入り、野田さんのところに娘からの相談が寄せられた。丁寧な手紙だった。「父を治療して正常さを取り戻させ、その上で刑を受け入れさせたい」

 せめて罪を認めてほしい。父親が死刑になることを喜ぶ家族がいるはずもないが、思い悩んだ末の願いが率直につづられていた。

 麻原の演技性の底には深い劣等感があったはずだ。

 裕福とは言えない子ども時代だった。目に障害があったとされるが、まだ視力のある段階から盲学校に入れられた。本人は「(家族から)口減らしで捨てられた」と傷ついたようだ。家庭の温かさを知らない人だった。

 この劣等感を癒やすかのように、周囲からの注目や尊敬を集めようとした。そのことを渇望し、時には暴力を振るってでも人を従わせる人格の基礎がつくられた。

 盲学校時代には「東大で医師になる」「国会議員になる」などと威張って語り、同級生からは嫌われた。この時期の「松本少年」が抱え込んだ寂しさや孤立感には同情さえも覚える。

 社会的に成功する道が厳しいことを思い知ったものの、偶然も手伝って宗教で有名になった。

 麻原の演技的な性格が中核となり、高学歴の弟子たちの服従、理化学の知識などが融合し、オウム真理教は地下鉄サリン事件を起こすまでに悪い成長を遂げた。典型的なカルトであった。

 6日に処刑された弟子たちにも会ったことがある。新実智光死刑囚は、麻原教祖と共に熊日本社に抗議に訪れた。新実死刑囚は最後まで麻原を信じていたと聞く。井上嘉浩死刑囚は罪を認め、痛切な反省文を残した。

 彼らが犯した罪はむろん大きいが、カルトによる洗脳の恐ろしさもあらためて感じる。

 麻原としては、自ら教団を完成させたと思っていたはずだ。教祖の地位にも執着した。事件が明らかになった後、カルトとして扱われることには耐えられなかった。裁判でも、とうとう何も語ることがなかった。

 刑場に向かうとき、麻原は何を思ったのだろう。教祖という仮面の下にある「自分」を自覚する一瞬があったのだろうか。(嘱託論説委員・春木進)

(2018年7月7日付 熊本日日新聞朝刊掲載)

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