「ノーサイン野球」で全国王者撃破 東北地区代表決定戦へ進んだ富士大の強さ

東北地区大学野球選手権大会で優勝した富士大学ナイン【写真:高橋昌江】

東北地区大学野球選手権大会で優勝、東北福祉大を撃破した富士大の「ノーサイン野球」とは

 第13回東北地区大学野球選手権大会(6月28日~7月1日・仙台市民球場ほか)で富士大(北東北大学リーグ)が2年ぶり3度目の優勝を飾った。6月の大学選手権で優勝した東北福祉大(仙台六大学リーグ)との決勝は6-2の逆転勝ち。「ノーサイン野球」で選手の積極性を全面に出し、10月27、28日に福島・ヨーク開成山スタジアムで開催される明治神宮大会の東北地区代表決定戦の出場権を得た。

 富士大が6月の大学選手権で優勝した東北福祉大に逆転勝ちし、2年ぶりの栄冠を手にした。ともに3年連続で決勝に進出。昨年は東北福祉大が0-7から試合をひっくり返して頂点に立った。逆に大逆転負けを喫した富士大は今回は先制を許したが、4回に逆転して勝利。豊田圭史監督は「去年、7-0から逆転されて負け、東北福祉大さんは今年、日本一になった。この大会は優勝するために全力でやっていこうと決めていました。(秋のリーグ戦まで)1か月以上、空くため、これが前期の最後の大会。出し惜しみのないよう、力を出し切ろうと思っていました」と振り返った。

 1日の決勝戦。富士大は2点を追う4回に死球、右前打のあと、連続四球の押し出しで1点を返すと、なおも1死満塁で9番・濱竜太郎(4年・佐久長聖)が「気持ちで絶対に打ってやろうと思って打席に入りました」と、逆方向であるライトの頭上を越す2点適時二塁打を放って逆転。さらに1番・山城響(1年・知念)の二ゴロで1点を追加した。6回には相手の失策で、7回には濱の適時打で1点ずつを加えて突き放した。

「この大会は選手の積極性を表に出したいと思っていました」と豊田監督は話す。「積極性を表に出す」ための手法は「ノーサイン野球」だった。4-2の6回に無死一塁で8番・佐藤大雅(1年・北海)が犠打を決めたが、これもノーサイン。1死二塁とし、9番・濱は遊ゴロに打ち取られたが、東北福祉大の遊撃手・元山飛優(2年・佐久長聖)が二塁走者の進塁を防ごうと三塁に送球。しかし、この送球が走者に当たり、ボールが転々とする間に1点を加えた。7回には無死無走者から4番・佐藤龍世(4年・北海)が左前打で出塁。途中出場の宮里青(3年・浦添商)が中前打で続き、丹野涼介(3年・北海)が四球を選んで満塁。その後、2死となったが、9番・濱の左前適時打で追加点を挙げた。

「ノーサイン野球」のきっかけは大学選手権での敗戦だ。東北福祉大が日本一に駆け上がっていく陰で、富士大は中京大に初戦で敗れた。2009年に準優勝し、13年からは6年連続で出場中。しかし、13年に2勝したものの、14、15年と初戦敗退。16、17年と初戦は突破したものの、それ以上は勝ち上がれなかった。そして、今年は3年ぶりに初戦で姿を消した。「結構、自信があったので、今回」と豊田監督。もちろん、毎年のように自信を持って大会に臨んでいるが、投手力やチームのまとまりに手応えを感じていた。また、豊田監督自身が監督として5年目となり、勝負の年と位置付けていたこともあった。しかし、結果は伴わなかった。豊田監督が話す。

「簡単には立ち直れなかったですよね。中京大さんに負けた時、神宮で勝つためには自分自身の中で何かをガラッと変えないといけないと思いました。僕も5年目なので、きっかけになるようなことを見つけないといけないな、と。なので、神宮の後のこの大会では、選手に積極的に振らせて、ピッチャーだったら勝負をさせて、守備でも攻める気持ちを出させようと。そのためにどうしたらいいかと考えた時にノーサインというのが頭にパッと浮かんで、やってみようと思いました。選手に思い切って積極的に振らせる、走らせる、守らせるというのをやらせてみたいなと思ったんです」

「選手はどう考えているのか、というのを再度、認識してみたいなと」

 多くのチームがそうであるように、これまでは、状況に応じた作戦を練習し、それを監督から出されるサインによって試合で実践する形だった。豊田監督は「僕が選手に(やるべきことを)伝えていかないといけないなと思っていた」と振り返る。

「ここでエンドランを出すよ、ここでスクイズだよ、バントだよ、と、僕が出すサインを選手が分かってくれなきゃいけないという考えでした。それが、選手はどう考えているのか、というのを再度、認識してみたいなと思ったんです」

 大会を通じ、富士大の選手たちは自ら送りバントを選択したり、セーフティバントをしたり、盗塁を試みたりした。逆に走者がいる場面で打っていく姿勢もあった。当然、サインを出したくなる場面もあったが、そこはグッと我慢した。「バッターがどう考えるのかなと見ていて、参考になったところがあった。結構、積極的にやってくれて、そういう気持ちを持っていれば、結果を出すチームだなと再認識しました」と豊田監督は嬉しそうだった。

 感情も出すようにした。例えば、守備のミスが出てもこれまでは黙っていたが、今回は「OK、OK」など、声に出して選手に安心感を与えた。

「表現したり、僕が笑顔でいたりするとやりやすいかなと思って。(自分で)若干、気持ち悪かったです(笑)。でも、これは今の子には大事だなと思うんです。やっぱり、僕の表情が硬かったら、選手も硬くなる。とにかく、自分自身が表情に出していこうと。練習はちゃんとやらないといけないけど、試合は、特に公式戦はそういう雰囲気でやりたいなと。練習の中ではある程度、アドバイスや助言はしていかないといけないけど、試合になったらやるのは選手だなと思ったんです」

 この雰囲気作りも中京大戦の反省からだ。全国で勝たないといけない、という思いが強すぎて、「それが選手に伝わっちゃっているんじゃないか」と感じた。監督の肩に力が入っていると、選手もそうなりやすい。選手が持っている力を出しやすい雰囲気を作ることを意識した大会だった。

投手の起用も選手に任せる「『自分、投げます』という気持ちは大事」

 投手の起用は選手に任せた。先発投手や交代のタイミングは豊田監督が決めたが、2番手や3番手を誰にするのかの決定権を投手陣に与えた。「『自分、投げます』という気持ちって大事だと思うんです」と投手出身の豊田監督は言う。継投のタイミングで彼らが提案してきた投手をマウンドに送り、点差を縮められた試合もあったが、「継投の難しさを分かってもらえたと思う」とプラスに捉えている。

「『お前、行け』というのと、『自分、行きます』という思いが僕とマッチした時に最高のチームになると思うんです。それを目指します。選手と監督の考えがマッチする野球を秋までになんとか作り上げる。難しいけど、それを目指してやっていきます」

 最優秀選手賞を受賞した濱は「個々が考えてプレーできたと思います。ケースバイケースで何をすればいいか、自分で考えてできたと思うので、それはよかったなと思います」と振り返った。楠研次郎主将(4年・東海大相模)も「この大会はノーサインで、それぞれが考えて野球をやったので、1人1人がレベルアップしたのではないかと思います。濃い3日間でした」と手応えをつかんだ様子だ。春は左肘痛で戦列を離れていた今秋のドラフト候補左腕・鈴木翔天も準々決勝と決勝に先発して復帰。秋に向けて、新たなスタイルも確立し、富士大にとっては実りある大会となった。日本一の東北福祉大にも勝利したが、だからこそ、豊田監督は気を引き締める。

「今回、東北福祉大さんは津森(宥紀)くんが大学代表でいなかった。うちはエースもいて、戦力的には整っていました。自分の中では、勝ったとも肩を並べたとも思っていません。東北福祉大さんが日本一になったので、これに追いついて、この差を縮めていくという気持ちを持ってやる。ここからだと思います」

 楠主将もこう話す。

「東北福祉大さんに勝てたので、みんな、自信になったと思うし、日本一が遠いところではないんだと再確認ができたと思います。また、これをチーム全体の肥料にして、秋に花を咲かせられるようにやっていくだけです」

 リーグ10連覇、そしてその先の日本一へ――。 新境地を得た富士大の今後の戦いぶりが楽しみだ。

(細野能功 / Yoshinori Hosono)

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