人生二度目の沖縄~前編~

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 7月某日。

  「25年前に鹿児島から船で渡って以来、人生二度目の沖縄なんです!」という女友だちと沖縄へ飛んだ。

  

 すでに梅雨明けし夏本番の沖縄なのに、なぜか台風7号が接近中。

  これはむしろ「大当たり!」と開き直って台風の沖縄を楽しむしかない。

 

 

那覇空港の「めんそ〜れ おきなわ」

  飛行機は悪天候による条件付き運行だったが、なんとか那覇空港に着陸。

  暴風雨圏内にまだ入っていない夕暮れの空がほんのりピンク色に染まる。

  沖縄で台風前によくみる空の色だ。

 

 暴風雨圏内に入ってしまうと、おそらくホテルに幽閉されることだろう。

  運よく雨もあまり降っていない。 

  初日の夜だけでもずぶ濡れにならず街を歩けるのはラッキーかもしれない。

  我々は生ぬるい南の風に吹かれながら、牧志公設市場へと向かった。

  

 毎年立ち寄るこの市場周辺には、次々と新しい店ができていて、早朝から深夜まで賑わいを見せている。

  立ち飲み屋、鮮魚居酒屋のほか、ステーキ屋にも新たなトレンドがあった。

  もともと米統治下や輸入関税優遇措置の影響でステーキが安く食べられた沖縄だが、「やっぱりステーキ」「かけつけステーキ」「県民ステーキ」など、今はやりの気軽なステーキ屋も増えている。

 

県民の味方「県民ステーキ」お代わり自由の牛すじスープ付

 私のおすすめは、牧志界隈を飲み歩く“のら猫”コース。

  浮島通りからのらのらと路地や横丁にいる島猫とじゃれ合いながら、牧志公設市場へ。ぐるぐると迷路のような小径を抜けていると「外国みたいですね」と友人も楽しそう。アーケードのお陰で雨に濡れないというのもいい。

 

台風に負けぬ牧志公設市場界隈のアーケード

 真っ先に向かったのは、足立区から上陸した大衆酒場「足立屋」。

 沖縄でも立ち飲み酒場は相変わらず大人気。

 地元のOLさんたちに挟まれて奥のカウンター席に陣取ると、沖縄到着の無事を祝してオリオン生ビールで乾杯。くわなの焼き蛤やししゃもの串揚げで少しお腹が満たされたところで店を出て、市場界隈をのらのら散歩。

  

 あちこちで見え隠れする島猫の影。

 あの細くてしなやかなフォルムに思わず足を止めてうっとり。

 島猫にはいつも癒される。

 

島猫映画「ニャハ」の島猫大使募集中ポスター

 那覇の夜は長い。

  2軒目は、タクシーで栄町市場の社交街へ乗り込むはずだった。

 栄町市場アーケード内にある「べんり屋 」で雨音を聞きながら、週末限定の“ゲンコツチュウチュウ”や絶品手作り餃子とシャンパンを楽しんだり、焼鳥「奄美」でも島酒でしっぽりやりたかったが、あいにくの台風で断念。

 

 でも嬉しいことに、台風前にも関わらず、沖縄の愉快なトモダチ・沖縄っこが大集合。市場をのらのら歩く彼らを眺めているだけで、なんだかもう『台風クラブ』みたいで楽しくなってきてしまった。

  

 さて、「平和通り」を抜けて、桜坂を目指す

 坂の手前、左手にある「かりゆしコーヒー」は朝から夜まで開いていて、美味しいドリップコーヒー、夜はワインやビールが飲めるオシャレな店。

 

 映画『怒り』(2016年 李相日監督)で、広瀬すず演じる女子高生が、米兵に絡まれる物騒な場面はこの辺で撮影された。

 しかし実際の桜坂は、のどかで島猫の姿も多く、なかなか趣のある坂道になっている。

 

桜坂ねこちゃんずを激写する友人と沖縄っこたち

 実はこの「桜坂」、正式な地名はない。住所でいえば牧志になる。

 戦後、急な坂道のここに桜の木を植樹した事から、そう呼ばれることになったそうだ。山城善光さんという方が、野原だったここに芝居小屋を作ったのが桜坂の起源だと聞く。

 

 「芝居小屋ができれば、道ができて、街ができる」。そう思った山城さんが作った芝居小屋「珊瑚座」が現在の「桜坂劇場」になり、桜坂の1階のカフェ「さんご座キッチン」に名が引き継がれているというわけだ。

  

 実際、沖縄の戦後の街づくりと映画館や芝居小屋にはとても密接な関係があった。それを徹底的に調べてまとめ上げた本が『沖縄まぼろし映画館』(當間早志・平良竜次 共著 ボーダーインク社)。

 映画監督の當間早志氏が長年自ら調査してきた成果であり、オススメの一冊。

 戦後復興の街づくりを牽引した映画館の歴史が詳細に書かれたこの本を読むと、沖縄の街を歩くのがますます面白くなってくる。

 平和通り入り口にも平和館という映画館があったから平和通り。

 あの国際通りも沖映通りもその名前の由来は映画館だったのだ。

 

沖縄まぼろし映画館を片手に沖縄を歩くツアーも楽し

  桜坂劇場から坂を下りると桜坂社交街がみえてくる。

 桜坂社交街は戦後復興とともに華やいだ歓楽街だった。

 60年前は300軒ほどが軒を連ねにぎわっていたと聞く。

 現在は、壺屋から国際通りへ抜ける道路が出来、桜坂の多くの店が立ち退きに遭ってしまった。

  

 それでも桜坂には、昔懐かしいスナックがちらほら残っている。

 桜坂社交街というゲート看板付近に「センター」と書かれたピンク色の怪しげな看板が灯っている。

 我々は、誘蛾灯に吸い寄せられる虫のようにそのピンク色へ引き込まれて行った。

 

センターのピンクが光る桜坂社交街ゲート

  「座敷があるスナックに、初めて来た!」と大はしゃぎの友人。

  確かに東京でみかけるスナックとはちょいと様子が違う。

 沖縄の飲み屋でよく見る小上がりの座敷がコーナーにあって、スナック風情のカウンターがある。

 そのカウンター越しにこの道何十年といった貫禄のママが、友人と沖縄っことやりとりしている。

 

 (以下沖縄の方言で)

  「はいっ! あたしいくつに見えるか?」

  「んー、42歳!」

 「はい、ご名答! ビール2本あげようね!」

  

 このやりとりがいかにも沖縄らしい。しかも本当にビール2本いただいている。 

 「名刺あげようね」。みんなに名刺を配る自称42歳の美魔女ママ。

 永子とあるから、永子ママと呼ぶことに。

 

美魔女の永子ママ

 

 奥の方に爺さんひとりと永子ママに寄り添う婆さんひとり。

 店内は沖縄っこ5人と東京者3人で、店は貸切り状態。

  

 「準備できるまで、それ食べてなさい」

 つまみに出されたのは、近所の「新茶屋」のにんにく丸ごと餃子。

 これは嬉しい。わたしにとって桜坂での夜食の定番は「新茶屋」の餃子か「悦っちゃん」のおでんだったからだ。

 そのほか、魚の天ぷらやスナック菓子などがテーブルに並ぶ。

 このようなおつまみ攻撃は沖縄のスナックにはよくあることらしい。

 

5年ぶりのカラオケ熱唱。誕生日の友人にちなんで替歌大会

 永子ママを囲んでノリノリのカラオケ大会。

  中に3粒しか入ってなさそうな音のマラカスをフリフリしながら、一曲歌う毎に100円を入れるカラオケマシンが懐かしい。

 

 自称42歳の永子ママは、戦後復興とともに沖縄の花街・松山から、桜坂にやってきたこの道60年近い凄腕ママ。

  昔は生バンド入りのキャバレーを経営し、従業員も50人以上いたという。

  そこから現在の桜坂センターまで、儲かった時代も冷え切った時代もくぐってきた永子ママ。そんな彼女が歌いあげる菅原洋一の名曲「知りたくないの」が、桜坂の夜に沁み入る。

 

 それにしても、アラウンド80じゃないかしらと思われる永子ママは若い。

  ビール2本獲得した友人と沖縄っこに聞くと、「俺と同じ42歳にしたら、俺と結婚するってさ!」。一同思わずのけぞった。

  

 帰り際、友人の手を頰にすりすりしたまま離さないお爺さん。

  「あたしが元気でいるうちにまた来なさいね!」

  永子ママと熱き抱擁を交わし、店を後にした。

 

桜坂センター前で記念撮影 。永子ママありがとう!

  快晴の青い海ではなく、那覇の夜に深く潜って楽しんだ桜坂ナイト。

  それにしても、この台風7号がこの後未曾有の7月豪雨になるとは!

 この度の豪雨で被災された方々へ、心よりお見舞い申し上げます。

 

 後編につづく