九州北部豪雨あす6年 雨音によぎる「あの日」 遺族の悲しみ今も

亡くなった藤井ケサトさん宅の裏山は現在、コンクリート壁で覆われている。藤井さん宅は右奥にあった=9日、阿蘇市

 「母を忘れられない」「夫の分まで頑張らないと」-。県内に甚大な被害をもたらした2012年7月12日の九州北部豪雨から6年。22人が犠牲となった阿蘇市では、遺族らが今も心に傷を抱え、故人に思いを寄せながら暮らしている。

 一の宮町坂梨の豆札集落。自宅裏山の土砂崩れで亡くなった藤井ケサトさん=当時(85)=の親族十数人は1日、長男(61)が近くに再建した家で七回忌の法要を営んだ。

 「豪雨の前日、デイサービスに来た母と最後に交わした『またね』の会話が忘れられない。何もしてあげられなかった、との思いは今も消えない」。市内に住む次女の岩本たかねさん(66)は、目頭を押さえた。

 岩本さんが勤める老人保健施設を訪れるのを楽しみにしていたケサトさん。要介護度2で、車いすが必要だったという。

 当時、自宅には他の家族もいたが、がけ側の1階の部屋にいたケサトさんだけが犠牲になった。「まさか裏山が崩れるとは思いもしなかった」と岩本さん。

 今年は、昨年の福岡・大分の大雨を上回る記録的豪雨が西日本の広い範囲を襲った。毎朝、仏壇で母親に手を合わせるという岩本さんは「災害を見聞きするたびに胸が痛む。雨音を聞くと、6年前のことがよみがえる」とうつむいた。

 土砂崩れで亡くなった一の宮町三野の古閑大助さん=当時(75)=の遺族も、静かに「あの日」を振り返る。

 古閑さん一家は、危険を感じて隣家の家族と共に11人で避難。ところが大助さんは軽トラックで逃げると告げ、1人だけ行動を別にした。直後、崩れた裏山の土砂が自宅周辺をのみ込んだ。

 国内有数のトマト産地となった阿蘇市でいち早く栽培を始めた一人で、米作りも熱心だった大助さん。跡を継ぐ長男公宏さん(54)は「高齢化で農業を続けられない農家が増えているのを、頑張り屋だった父は天国で心配しているんじゃないか」と思いをはせた。3年間の仮設住宅暮らしの後、約4キロ離れた所に自宅を再建した。

 北部豪雨の前年は金婚式だった。妻サツキさん(80)は、絞るように言葉をつないだ。「寂しさは尽きないが、夫は戻らない。残された私たちは、前を向いて頑張らないといけないと思っています」(岡本幸浩)

(2018年7月11日付 熊本日日新聞朝刊掲載)

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