【世界の街から】消された小さな声

マニラの「慰安婦像」撤去

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設置された直後の従軍慰安婦問題を象徴する女性像=2017年12月、マニラ(共同)

 太平洋戦争中の1944年10月、旧日本軍の神風特別攻撃隊が初めて出撃したのはフィリピン・ルソン島中部マバラカットの飛行場からだった。爆弾を積んだ航空機で搭乗員もろとも艦船に突っ込む攻撃は、米軍に「カミカゼ」と恐れられた。

 飛行場跡地には今、特攻隊の記念碑が立つ。建立を地元当局に働き掛け、実現したのはフィリピン人の郷土史家ダニエル・ディソン氏。2015年に85歳で亡くなった。

 日米の戦闘などに巻き込まれ命を落としたフィリピン人は約110万人に上る。憎むべき日本軍の碑をなぜ建てたのだろうか。近くの説明文には「特攻隊の栄光を称賛するためではなく、歴史的事実を通じて平和と友好の尊さを訴えるため」「特攻隊のような不幸な出来事を二度と繰り返さないと誓う場所となることを祈念する」とあった。

フィリピン・マバラカットにある神風特攻隊員の碑=2017年9月(共同)
フィリピン・マバラカットにある神風特攻隊の記念碑=2017年9月(共同)

 戦争の実相を伝える方法はさまざまだ。経験者が語り、文字にすることは被害と加害の実態を後世に残す。碑の建立も未来の世代が戦争の一側面を知るきっかけになる。

 首都マニラには昨年12月、日本軍による従軍慰安婦問題を象徴する女性像が建てられたが、今年4月に撤去された。遺憾の意を繰り返し伝えた日本政府にフィリピン政府が配慮したようだ。

 撤去後、設置を支援した団体と共に記者会見した元慰安婦は「この国に慰安婦がいたという事実を世界が忘れてしまう」と、憤りとも危機感とも取れる言葉を口にした。

従軍慰安婦問題を象徴する女性像が撤去された跡=4月、マニラ(共同)

 両政府の立場やメンツ、思惑もあるだろう。だが一被害者にとっては犠牲の記憶をとどめ、伝える手段を一つ失ったことになる。巨大な国家や政府の陰で、被害者の小さな声がふっと消されたような気がした。(共同通信=マニラ支局・岩橋拓郎)