JFE建材「関東・甲信地区椙森会」、斎藤隆氏(元プロ野球選手)が講演

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 JFE建材(社長・久保亮二氏)の道路・土木製品の関東地区における協力会社組織、関東・甲信地区椙森会はこのほど、東京・錦糸町の東武ホテルレバント東京で通常総会を開催した。会では元プロ野球選手で現在は野球解説者やサンディエゴパドレス球団顧問として活躍する斎藤隆氏による「野球人生の歩みと野球界の未来」と題する講演会が行われた。

 斎藤氏は宮城県仙台市で型枠などの建設工事を営む父親の元に三男として生まれ「異常に野球に厳しい兄2人がおり、幼少期から甲子園を目指すとランニング、バットスイング、腹筋・背筋を毎日やらされた」と回想。そこまで熱心ではなかったと自身は語ったが、上手くなり周囲の友人よりも野球では秀でたため楽しかったという。

元プロ野球選手の斎藤隆氏

 東北福祉大学2年時に監督に見出されピッチャーへ転向。大学3年の春まではずっとバッティングピッチャーを務めたが、徐々に才能を発揮して秋の神宮では球速142キロを投げられるようになり、ピッチャー転向から2年目には148キロを投げられるようになるなどドラフト1位候補として注目を集めた。

 91年にドラフト1位で大洋ホエールズへ入団。97年に後に監督となる権藤博氏がコーチとして赴任した。それまでのコーチは1球で価値が逃げるなど野球の厳しさばかりを教えたが、権藤氏は「余計なことを考えるな。バッターとピッチャーはやるかやられるか以外ない」とシンプルに教え「どの場面でどう打たれるかを考えることがピッチャーの仕事」と断じた。これにより目覚め、先発として98年に13勝、99年に14勝をあげ日本でのキャリアハイとなった。「それまでは打たれても反省の仕方さえわからなかったがようやくチームの力になれたと実感した」という。

 その後、ロサンゼルス・ドジャースなどメジャー球団を渡り歩き、厳しいメジャー・リーグへの道を歩む中で野球の楽しさを再確認した。斎藤氏は「日本の辛い時間とメジャーの楽しい時間の差を考えた。日本は宣伝広告費や放映権という莫大なお金が他球団にも回ることなどからジャイアンツに逆らえず一強状態が続いた。メジャーは30球団がリーグとして平等に力がいくようにパワーバランスだけを重要視して運営している。ラグジュアリータックスがあって、年俸があるレベルを超えるとMLBに罰金を払う必要があり罰金は均等に各球団へ分けられる」と語る。

 現在の日本球団は「非常に危うい。メジャーはアジアをどう取り込もうか考えている。足かせは移動時間で東京とニューヨークが短時間で結ばれたら米資本が動いてくる」と指摘する。日本は「中国や台湾を含めた東南アジアで草の根運動をしたり莫大な人口をもつ中国に野球に興味持ってもらうなど、日本がアジアで野球の中心になるよう下地を作って欲しい。現時点でMLBが来れば非雇用者が増えるが、こういう人たちに恩返しせずに野球界が衰退するのはいけない。エンターテイメントとしても新たに台頭してきたeスポーツなどが脅威で、野球の宣伝広告費としての役割は終わる可能性も出てきた。皆さんと野球界を考えられればありがたい」とソフトな語り口ながら熱く語り締めくくった。