<メディア時評・集会の事前規制>デモ制約 拡大の恐れ 浸食される表現の自由

©株式会社琉球新報社

 胸騒ぎがする東京の夏だ。6月から7月にかけて矢継ぎ早に明らかにされた三つの方針に関してである。東京弁護士会(東弁)が集会の事前規制を含むモデル条例案を公表、軌を一にして新宿区がデモの出発地として利用できる公園を制限する方針を決定した。さらに同時期には東京都で、ヘイトスピーチ対策として利用制限を含む人権条例策定を目指すパブリックコメントを実施した。

憲法違反の可能性

 東弁は、ヘイトスピーチに公共施設が利用される事態を防ぐことを目的に、2015年9月には意見書を発表。さらに自治体向けのパンフレット「地方公共団体とヘイトスピーチ」を06年1月に作成・配布し、利用申請を拒否する法的根拠を周知してきた経緯がある。6月8日の意見書と条例案は、それをさらに一歩進め「差別的行為を目的とする集会のための…公の施設の利用の制限」として、ヘイト認定した団体・個人には公共施設の利用を禁じる規定を設けた。

 具体的な条文規定としては、「当該利用が差別的行為を行うことを目的とするものと認めたときは、これを許可してはならない」「目的の有無は、公の施設において差別的行為が行われるおそれが客観的な事実に照らして具体的に明らかに認められるか否かにより判断するものとする」としている。ポイントは、行政機関が表現もしくは思想内容をチェックし、問題ありと判断すれば事前規制するという点だ。条例案では一貫して「差別的行為」規制と位置付けているが、中身は表現行為であることから、これ自体検閲行為で憲法違反の可能性が拭えない。

 新宿区の新方針は6月20日に改訂されたもので、みどり土木部みどり公園課名の文書「デモの出発地として使用できる公園の基準見直しについて」によると、従来、区内でデモの出発地として使用できる公園は四つあったが、「頻発するデモによる周辺交通制約や騒音により迷惑しているため、公園周辺町会及び商店会からデモを規制してほしい旨の要望を受け」「住宅街に加え、学校・教育施設及び商店街に近接していない」という条件を加えた。これによって、これまでターミナル駅に近くよく利用されていた公園など3カ所を除外し、1公園に限定されることになった。

 同時に使用間隔や使用回数なども厳格化しており、公園使用制限によって、実質的にはデモ規制を想定したものである。新宿区は公には否定しているものの、議員等からはヘイトスピーチデモの抑制効果を期待する声があがっている。8月1日からこの新基準が適用される予定だ。

五輪を錦の御旗に

 一方東京都は、2020年の東京五輪・パラリンピックを踏まえ、LGBT(性的マイノリティ)差別とヘイトスピーチ抑止を目指す条例を制定する方針を5月11日に明らかにした。「東京都オリンピック憲章にうたわれる人権尊重の理念実現のための条例(仮称)」骨子案によると、東京2020大会後も見据え、首都東京が条例で宣言することで、ホストシティにふさわしいダイバーシティを実現することを制定意義として謳(うた)っている。

 条例案は、6月にパブリックコメントを実施、9月の東京都議会に提出する予定だ。可決されれば、18年中に条例の一部を先行して施行し、第三者機関等の体制整備ののち19年4月から全面施行の予定である。

 デモや集会は、特段の有効な伝達手段を持たない一般の市民が、町の人たちに自分の意見を伝える重要な手段である。この憲法上の表現の自由が、行政機関の一存で制約されると、いろいろな意見が社会に伝わらない事態が生じることになる。時にこうしたデモは騒々しい場合もあるかもしれないし、集会において表現が激しい場合もあり得る。車の往来の邪魔になるかもしれないし、やってもいいが自分の目の前では許さない、という人もいるだろう。

 だからといって、特定の人の発言を将来にわたって一切認めなかったり、デモを可能な限り制約することは許されない。あえていえば、デモはある人にとっては「害悪」かもしれないが、それをも許容することを民主主義社会は求められているということだ。そもそも、公道を使用しての示威行動であるデモ行進は、自由に行えるというのが大原則だ。ただし、車の往来等を勘案して、公機関が必要最小限度の条件を付せるにすぎない。

 デモに伴う出発(あるいは解散)地点としての公園使用も、発言内容に問題があるかもしれない集会も、外形的な条件がそろっていれば、原則はすべて許可されることが予定されている。公園や公共施設の使用不許可は、事実上、デモ行進や集会が行えなくなる可能性を含むものであるからだ。今回、新宿区や東京都(あるいは東弁)が予定している措置は、こうした原則を大きく踏み外し、表現行為としてのデモ行進や集会を事実上大きく制約させるものに他ならない。

 いったん、デモや集会に条件をつけることを認めれば、すべてのデモは、何らかの市民生活の支障を及ぼす可能性があり、その規制範囲は無制約に広がりかねない。しかしこれは、原則と例外の逆転であって、憲法で保障された表現の自由を根本から揺るがすものであって許されない。

 表現の自由は、猥褻(わいせつ)表現であるとか、ヘイトスピーチであるとか、いわばみんなが規制されても仕方がないと思うような表現領域から侵食されるものだ。さらには、オリンピックのための環境整備というと、だれもが反対しづらい空気がある。しかし、こうした時に開けられた穴がどんどん広がり、気が付くと自らの表現の自由を失うというのが歴史の教訓である。しかも沖縄では、すでに日常的なデモや集会が、政府意向に反するという理由で制約的な状況にある。今回の東京の動きが、全国に広がる気配があるだけに憂鬱(ゆうつう)だ。

 (山田健太 専修大学教授・言論法)