ロシア・ワールドカップも残すところ2試合。今夜はベルギーとイングランドによる3位決定戦が行われる。
ここでは『fourfourtwo』による「最もクレイジーだった3位決定戦、トップ5」を見てみよう。
2002年:韓国 2-3 トルコ
2002年の日韓大会で韓国が準決勝に進出した後、『Telegraph』紙のポール・ヘイワード記者は「警告:韓国を応援するな」と書いた。
アジアで初めて開催されたこのワールドカップで、韓国代表は幸運の女神に微笑まれたと言える。イタリア戦でもスペイン戦でも物議を醸す判定が有利に働いたが、セミファイナルでドイツに屈した。
3位決定戦の相手はトルコ。彼らも前評判は高くなかったという点では同じだったが、有利な判定の恩恵は全く受けずにここまできた。
この対戦カードはこの夏の最も驚くべきものだったはずだ。そして、この一戦で鋭さを見せたのはトルコだった。
ハカン・シュキュルがW杯史上最速となる開始10.8秒で先制ゴール。韓国は前半9分にイ・ウルヨンのフリーキックで同点に追い付く。
その後は韓国守備の乱れもあり、イルハン・マンスズが前半のうちに2点を追加。93分に決まったソン・ジョングクのゴールも慰めにしかならなかった。
1982年:ポーランド 3-2 フランス
フランスはこの大会の準決勝で西ドイツとW杯史上に残る激闘を演じた。延長戦で両チームが2点ずつを奪い合うという壮絶な一戦だったが、PK戦によりフランスは3位決定戦にまわることに。
一方、ポーランドの準決勝は地味な展開で、パオロ・ロッシの2発でイタリアに敗れた。だが、そのことが3位決定戦でフランスを出し抜く助けになったかもしれない。
先制したのはフランス。13分にレネ・ジラールの22メートル弾が決まる。
だが、前半終了間際にアンジェイ・シャルマッフとステファン・マイエフスキの連続ゴールでポーランドが逆転。特に1点目は角度のないところからの素晴らしいフィニッシュだった。
ポーランドは後半開始直後にもクレバーなフリーキックで追加点。フランスも残り18分で1点差とするも、勝利を掴んだのはポーランドだった。
2010年:ウルグアイ 2-3 ドイツ
ウルグアイのオスカル・タバレス監督は生粋の保守的監督だ。にもかかわらず、準決勝でオランダに敗れた後はその慣習を投げ捨てた。
それによってヨアヒム・レーフ監督率いるドイツとの試合はまったくもって愉快なものになった。
トーマス・ミュラー弾でドイツが先制するも、カバーニとフォルランのゴールで前半のうちにウルグアイが逆転。
だが、マーセル・ヤンゼンの得点で追いついたドイツが、終了8分前に決まったサミ・ケディラの決勝ゴールで勝利を勝ち取った。
1958年:フランス 6-3 西ドイツ
1958年のジュスト・フォンテーヌ(元フランス代表FW)ほど幸運な大会を経験したものはない。
本大会前のキャップ数はわずか5。だが、2冠を達成したスタッド・ランスで39ゴールを叩き出したことでスタメンの座を得た。
グループステージ3試合で6ゴールを叩き出すと、4-0で勝利した準々決勝の北アイルランド戦でも2得点を記録。5-2で敗れた準決勝ブラジル戦でもゴールを決めて、そこまでの5試合で9得点をマークしていた。
そして、3位決定戦ではなんと4発の大暴れ!モロッコ生まれの24歳は13ゴールで得点王になった。得点ランク2位だったペレらに7得点もの圧倒的な差をつけて。
当時はまだ『Golden Boot賞』がなかったが、その偉業により地元紙からエアライフルが贈呈されたほど。フォンテーヌの決定力がフランスと西ドイツとの差になったのだ。
1986年大会:ベルギー 2-4 フランス
今大会でのフランス対ベルギー戦は1-0という予想通り緊張感あるものだった。
だが、準決勝で敗れて3位決定戦にまわった1986年の両国には、そのような緊張はなかった。
その結果、攻撃的な両チームによる愉快でオープンな一戦に。メキシコの地で両者は自分たちのいいところを見せつけた。
この大会のベルギーは、グループステージで5失点を喫するなどクリーンシートが一度もなかった。グループ3位でなんとか勝ち抜けた後のラウンド16では、ソ連との激闘に4-3で勝利。準々決勝ではスペインをPK戦の末に下すが、準決勝ではディエゴ・マラドーナの2発に沈んだ。
一方、フランスはノックアウトラウンドでイタリアとブラジルを撃破するも準決勝で西ドイツに屈した。
その両者の対戦とあって、ベルギー守備陣が前半に2失点を喫したのは驚きではなかった。
その後、ベルギーは同点に追い付くも、延長戦での2発でフランスに軍配が上がっている。