【特集】そのカウンター、まさに「悪魔」 W杯、ベルギーが3位

ベルギー―イングランド 後半、2点目のゴールを決め、メルテンス(左)と喜ぶベルギーのE・アザール(中央)=サンクトペテルブルク(共同)

 1974年西ドイツ=当時=大会と82年スペイン大会で3位になったポーランド、そして歴代のイタリア―。ワールドカップ(W杯)で記憶に残るチームを問われると、オールドファンはこれらの国を挙げるのではないか。そして、これらの国はカウンターがうまいというイメージが、印象がある。

 このようなチームには、必ずといっていいほど俊足のアタッカーが存在した。典型的なのは74年大会の得点王に輝いたポーランドのラトーだろう。しかし、これらカウンター上手のチームでも、突き詰めれば戦術よりも個人の能力が攻撃の成否を握っていた。

 だが、ロシア大会のベルギーは違った。カウンターを個人に頼るのではなく、グループ戦術としてここまで完成させたのだ。こんなチームは、サッカー史上でも初めてなのではないだろうか。

 「カウンター・マスター」

 このような言葉があるのなら、「商標登録の権利」は今大会のベルギーに与えられるべきだ。

 「赤い悪魔」という愛称にたがわず、エデン・アザールやデブルイネを筆頭にキラ星のごとくタレントを擁しているベルギー。だが、現在のチームは自ら主導権を握った試合を「あえて」展開しない。14日に3位決定戦で対戦したイングランドは明らかに攻守に迫力を欠いた。それでもボール支配率は43パーセントにとどまった。それが、相手に攻め込ませることで背後を手薄にさせ、自らのカウンターを狙うための布石だと思えば、妙に納得がいく。

 相手に守りの陣形を築かれる前に、一気に突破口を開く。なるべく手数をかけない攻撃には、一つひとつのパスにより高い精度が求められる。前半4分の先制点は、自陣からイングランド・ゴールを陥れるまでに、わずか4本のパスを高精度につなぎ決着をつけた。

 GKクルトワが左サイドに出したパスをシャドリがヘッドでつなぎ、中央のルカクへ。そのルカクは、シャドリが左のスペースに走り出る「間」を作って、絶妙のスルーパス。再びボールを受けたシャドリのゴール前へのクロスを、ゴール前に進入したムニエがダイレクトで決めた。ラストパスを出した選手と得点を決めた選手が、守備時には5バックの両サイドというのも驚くが、シャドリは187センチ、ムニエは190センチと長身だ。こんな大型選手をアウトサイドで使えるのも、ベルギーならではなのだろう。日本は到底まねができない。

 そもそも五輪と違って、W杯の3位決定戦というのは、通例で消化試合の色合いが濃い。それでも興味を最後まで保てたのは、準決勝から中2日という日程的な問題からか5人のメンバーを入れ替えてきたイングランドに対し、ベルギーがほぼベストメンバーで臨んできたからだろう。

 前半は退屈な展開だったものの、イングランドも攻めに出た後半はなかなか楽しめた。後半25分にはダイアーが巧みなループシュートでGKクルトワを破ったかに見えた。しかし、これを同じトットナム所属のベルギーDFアルデルウェイレルトがゴールライン上で防いだというのも、なんとも面白い巡り合わせだった。

 それでも冷静に見れば、ベルギーの実力は確実にイングランドを上回っていた。なぜなら、必殺のカウンターという仕留め技があるからだ。後半34分にはGKピックフォードのファインセーブで得点にはならなかったが、デブルイネ、メルテンスとつないで、最後はムニエが鮮やかなボレー。見とれるようなカウンターを見せた。

 勝負を決める追加点も、GKを起点にした4本のパスだった。後半37分、クルトワがコンパニーにつなぎ中盤のウィツェルへ。そのボールを受けたデブルイネがドリブルから相手の背後を狙うE・アザールへ最高のパスを送った。加えて、アザールがドリブルしたコース取りも絶妙だった。DFジョーンズの戻るコースに自ら入り込むことで、相手を背中でブロック。1対1となったGKピックフォードのニアサイドを打ち抜き、有終の美を飾った。

 準決勝ではわずか1点に泣き、フランスの後塵(こうじん)を拝した。しかし、7試合で6勝1敗。一大会で6勝を挙げたのは4カ国目で、史上最多タイなのだという。過去に6勝を挙げたのは、74年のポーランド、90年イタリア大会のイタリア、2010年南アフリカ大会のオランダ。ところが、最多勝利を挙げた国は一度も優勝にたどり着いていない。これは、W杯の新たな「都市伝説」になるのかもしれない。

 7月2日のロストフ。死闘の末、終了間際に日本をドン底にたたき落とした「悪魔」のカウンター。いまとなれば、あれは巧みに仕組まれたわなだったのだろう。王国ブラジルを沈め、母国イングランドを粉砕したベルギー印の登録商標。「カウンター・マスター」は、いまや世界中が知るブランドとなった。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はロシア大会で7大会目となる。

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