【特集】訳あり!浪人生「微増」 青春の試練と時代の推移

(左から)駿台予備校、代々木ゼミナール、河合塾の大手3社の校舎

 少子化に伴い、減りつつあった大学受験の浪人生がここ2年、わずかだが増えているという。入学者が定員を大きく上回らないように文部科学省が私学助成金の交付条件を厳しくしたため、首都圏や関西の多くの私立大で合格者数が例年より千人単位で減少したのが原因とみられる。背景には、都会に学生が偏るのを避けて地方の大学に誘導しようとする文科省の方針がある。都市部の私大側も交付金を失いたくないということだが、本来なら志望校に受かった受験生が涙をのんで浪人を選んだということになる。大手予備校の変遷の歴史を振り返りながら、「当世浪人事情」を考えてみた(共同通信=柴田友明)

 予備校戦国史

 大学入試センターの出願状況によると、浪人生らの「既卒等」は2017年が前年比3千人アップの10万4千人、18年が10万9千人と増加傾向だ。これに伴い、大手予備校によっては浪人生向けのコースが2、3割増えたと報道されている。

 かつて、センター試験の前身である共通1次試験世代で、代々木ゼミナール名古屋校で1年間浪人生活を送った筆者にとっては気になるニュースではあった。

 1980年代は大手予備校(代々木ゼミナール、河合塾、駿台)が各地でしのぎを削り、河合塾が本拠地とする名古屋に代ゼミや駿台が進出して浪人生の獲得競争がさかんだった。まだ「カリスマ講師」という名称はなかったが、東京で名をはせた人気講師が息を弾ませ、さっき新幹線で着いたばかりと言いながら、「名講義」を始めるシーンを何度も見た。

 「大学全入時代」の1、2歩手前。当時、浪人生は約30万人、受験生全体に占める割合は3割から4割の間を推移するなど相当高かった。代ゼミなど大手予備校も浪人生を主体にした講義システムが主流だった。生徒を引きつける能力のある講師は経営者からは大変重宝された。人生論を語り、時には歌を口ずさむ。全共闘世代、70年安保を学生時代に過ごした講師の中には、デモ隊との一員として機動隊と対じした思い出を武勇談として話す人もいた。かなり極端な例だが、箱の中のチョークを節分の豆まきのように生徒に向かってばらまき、「私が中国大陸にいたとき文化大革命が起きた!これぐらい驚いたね」と大声を叫びながら教室から飛び出し、30分近く戻ってこなかった漢文のツワモノ講師もいた。

大学入試センター試験で、問題冊子の配布を待つ受験生=2018年1月13日、東京・本郷の東京大学

 まるでスマホの世界

 今の時代、青春の試練として浪人生となった方があのころの講義をもし受けたら、どん引きするか「そんな人生論なんか必要ない」と怒り出すかもしれない。田舎の高校を卒業したばかりの筆者にとってはかなり刺激的な日々ではあったが…。

 大手予備校と言えば、ライブ授業という筆者のイメージが崩れたのは1990年代後半、社会部記者の時に、ある取材で予備校「東進ハイスクール・東進衛星予備校」を訪れた時だった。ヘッドホンを付けた受験生が一人ずつ、ボードで仕切られた机でDVDの録画画面を見て受講している姿だった。

 「いつやるか?今でしょ!」のセリフで知られる林修氏が登場する前の同校だったが、このスタイルで全国展開していることを知り、時代が変わったと思った。個別の画面に見入る受験生の姿は、スマホにじっと見入る今の若い世代とダブる。

 4年前に代ゼミが全校の約7割の校舎閉鎖など事業の見直しを発表したときには、大手予備校の位置づけ、時代の変遷についてあらためて話題になった。

 それではこの記事の冒頭に戻って、今回の浪人生「微増」は予備校全盛の復活の兆しとなるか。答えは否である。2020年度からスタートする大学入学共通テストに備えて、現役での入学を強く望む傾向が強く、中長期的に見れば浪人生は減るという見方が主流のようだ。かつての「大浪人時代」は1960年代生まれの筆者にとってノスタルジックな世界のようだ。

センター試験に向かう受験生ら。奥は安田講堂=2016年1月、東京・本郷の東京大学

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