【植田アルマイト工業 創業70周年】〈植田信夫社長に聞く〉アルマイトに特化、業容拡充 今期売上高、過去最高33億円目指す

 アルマイト・硬質アルマイトなどのアルマイト専業メーカーの業界最大手、植田アルマイト工業(本社・大阪府堺市東区、社長・植田信夫氏)は1948年の創業で、今年6月が創業70周年の節目だった。植田社長は「ここ数年、業績は堅調。来期は過去最高を更新し、売上高33億円を目指している」と話す。これまでの歩みや足元の業績、今後の事業展望などについて植田社長に話を聞いた。

――沿革を振り返ってもらうと。

 「初代社長・植田健太郎は戦中戦後にアルミメーカーに勤務していた。アルマイトの需要が伸びることに着目し、三男・重三郎(2代目社長)ら3兄弟で48年にアルマイト事業を興した。植田家はもともと、米屋を営み商売の素地があったのかも知れない。戦後の草創期は鍋・ヤカンなど器物を扱っていたが、67年の堺市への移転が転機となった。従来の小物から建材関連の長尺の押出形材へと業容をシフト、折しも高度経済成長の時代でその波にも乗った。88年には本社工場の横吊に加え縦吊第3系列を新設、これにより生産性と品質が大幅に向上した。同時に硬質工場が竣工、自動車部品など一般産業向け硬質需要に対応できる体制が整った」

――98年に三重工場が、昨年は本社新社屋が竣工しました。

 「三重進出は中部地区の顧客(アルミ押出メーカー)へきめ細かな対応が可能になることと、製造拠点を両肺体制とすることでのリスク回避を狙った。菰野町の熱心な誘致もありがたかった」

――現在の業容は?

 「拠点は本社工場・堺硬質工場(堺市東区)と、三重工場・三重硬質工場(三重県三重郡菰野町)。アルマイト事業は形材、板材、硬質の3本柱だが、板と硬質は業界で後発。使われる分野も随分と違う。それだけに板および硬質の事業を軌道に乗せることが一番大変だった。顧客や商社など多くの方々に当社は支えられ、節目を迎えることができた。大変感謝している。70周年式典は今年12月末に内々で行い、従業員の労をねぎらいたい」

 「足元の月産量は本社および三重工場の形材が1500トン、本社工場の板材がほぼ18万平方メートル、本社および三重工場の硬質が6千平方メートル。形材と板は24時間稼働で、硬質は昼勤1直で対応している。形材・板材・硬質を合わせた、生産実績と生産能力は、国内トップだ。売上高は前期(18年3月期)が過去最高の32億2千万円。今期は33億円を見込み、全3分野での増収を予想している。設備面も注力しており、高品質な製品を効率よく生産するため、毎年約2億円をかけて整流器など順次更新中。万全の生産体制が、顧客の信頼につながるはずだ」

――強みは?

 「形材のカラーバリエーションは国内随一だと自負している。例えばホワイトは純白、アイボリー、その中間色のミルキーホワイトと3色をそろえる。大手建材メーカーでも白系を1色持っているかどうかで、ホワイト色は冷凍車外装、LED照明反射板などで引き合いが多い。ダイス目を消す、マット処理は30以上のカラーに対応しており独自技術だ」

――従業員数は?

 「210人で、ウチ女性が40人。今春は7人の新卒(高卒5人、大卒2人)を採用した。現状では人財確保は問題ないが、この先は大変。特に女性の積極的な活用を図る。昨年から女性を営業職に1人配置、別の1人には納期管理を担当させている。女性の真面目さ、やる気をいっそう生かしたい」

――次の節目に向けて決意を…。

 「引き続き技術開発や新色の上市などを進め、顧客の求める製品を生産したい。アルマイトの需要はまだまだあるし、最近では海外からの引き合いも寄せられている。当社の強みは、アルマイトに特化していること。それを堅持しながら業容拡充に努めたい」(白木 毅俊)

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