「日本一の俳優」 常田富士男さん惜しむ声

2000年8月、熊本市で講演する常田富士男さん

 18日、脳内出血のため81歳で死去した俳優の常田富士男さんは、長野県で生まれ、小学3年の時に母の実家がある南小国町に移住、済々黌高定時制を卒業するまで熊本で過ごした。熊本ゆかりの映画にたびたび出演、県内各地で昔話を語る会なども開いてきた。関係者は独特の存在感を放った役者ぶりや、気さくな人柄をしのんだ。

 「日本一の俳優だったと思う」。合志市出身の映画監督・中山節夫さん(80)=埼玉県=は、阿蘇を舞台にした「原野の子ら」など多くの作品で常田さんを起用した。「天性の芝居のうまさで、どんな役でも自分のものにしてしまう希有[けう]な存在だった。常田さんを主役にした映画を撮りたかった」と残念そう。

 「個性ある名脇役がいなくなった」と惜しむのは、常田さん主演の演劇を主催するなどした福岡市の出版社代表・福元満治さん(70)。「昔話の語り口は、ひょう逸なイメージだが、シリアスな役柄を演じ切る非常に真面目な役者だった」

 南小国町には、数年前までしばしば帰郷。2011年と12年には民話の朗読会を開いた。会を企画した1人の佐藤良治さん(56)=同町=は「ボランティアで引き受けてくれた。穏やかな人で、同級生たちと懐かしそうに話していた」。十数年前、母親の初盆で帰郷した常田さんが地域の人たちに交じって盆踊りを踊る姿が印象的だったという。

 常田さんは今年3月、親友だった熊本市北区植木町出身の画家・故森山裕之さんの作品を同区役所に寄贈。常田さんと親交があり、寄贈を仲介した植木町文化協会の宮崎喜一会長(71)は「人当たりが良く、誰からも好かれそうな人」と振り返る。「最近は体調が悪いと聞いていた。元気になって町の美術展に来てほしかった」と寂しげに語った。

 (富田一哉、深川杏樹)

(2018年7月20日付 熊本日日新聞朝刊掲載)

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