空襲受け諫早に帰郷、救護被爆 亡き母の体験 紙芝居に 山下さん 22日のイベントで初披露

©株式会社長崎新聞社

 諫早市長田町の被爆2世、山下豊子さん(62)は、亡き母の戦争、被爆体験を書き起こし、色鉛筆で描いた紙芝居「母、八千代の記憶」を制作した。脳梗塞の後遺症があり、左手だけで描いた17枚(A3判)。「罪のない人がなぜ殺されなければいけない。戦争は絶対にだめ」-。そう繰り返していた母の思いを込め、22日、市内で開かれる平和イベントで初めて披露する。
 母、故西平八千代さん(2015年、86歳で死去)は戦時中、福岡県久留米市のゴム工場で挺身(ていしん)隊として働いていた。1945年8月上旬、工場が空襲に遭い、八千代さんは家族が住む諫早市長田町に戻った。同年8月9日の長崎原爆後、けがを負った被爆者が同町にも運ばれ、長田国民学校(当時)に収容。八千代さんもけが人の世話に加わり、救護被爆した。
 山下さんは2012年から活動する「長崎被災協・被爆二世の会・諫早」の会員。2年半前の脳梗塞で右半身にまひが残り、幼いころから好きだった絵筆を左手で握り始めた。紙芝居の基となった八千代さんの体験は昨年、原稿用紙に書き起こしていた。「母がふとした瞬間、話していたことをまとめた。空襲に遭い、命からがら帰ってきた町で被爆者を救護した体験はめったにないと思って」
 昨年夏、近くの小学校で朗読した後、紙芝居制作を思い立った。場面割りや下書きを終え、本格的に描き出した今年春、右足を骨折して入院。7月の同会主催の平和イベントで披露したいという一心で、水彩から病室に持ち込みやすい色鉛筆に替え、筆を走らせた。
 防空頭巾姿の若き日の母、無数に落とされる爆弾、列車を待つ人の列、救護所に寝かされた被爆者-。線で枠を細密に描き、濃淡を付けながら色を重ねた。「葉などの小さなものは描きやすいけど、人の顔の輪郭など太い線は苦労した」。2カ月間の入院を経て、今月中旬、完成にこぎ着けた。
 「傷口にわいたうじを取ると、『ありがとう』と言ってくれた」。山下さんの長男(26)が八千代さんから聞いていた体験も紙芝居に加えた。「ひどい目に遭いながら、世話した人に礼を言える姿が胸に迫ってきて」と山下さん。本番は今月22日正午。同会会員が紙芝居用の木枠をこしらえ、山下さんが朗読する。「諫早で起きたことを多くの人に知ってほしい」-。

 ▼長崎被災協・被爆二世の会・諫早の原爆・継承コンサート=22日午前11時~午後4時、諫早市本町のポケットパーク。コンサートや朗読、パネル展示。かき氷を振る舞う。

亡き母の戦争、被爆体験を紙芝居に仕上げている山下さん(左)。姉の酒井宗子さん(中央)らが見守る=諫早市長田町