東京パラ、最高の機会 障害者スポーツを普及へ 車いすマラソン元選手の山本さん 

車いす陸上の選手、中尾有沙さん(左)を指導する山本行文さん=熊本市東区

 車いすマラソンのパイオニアとして知られる山本行文さん(63)=熊本市北区龍田=は、選手を引退してからも障害者スポーツの普及に奔走している。モットーは「チャレンジと全力投球」。2020年の東京パラリンピックを前に「最高の舞台で、圧巻のプレーを見てもらえる。パラスポーツの普及、強化につながる機会になる」と意気込んでいる。

 山本さんと車いすマラソンとの出合いは1981年。自衛官だった22歳の時、作業中の事故で下半身不随になり、リハビリ中にテレビで第1回大分国際車いすマラソン大会を見た。「同じ境遇の人々が頑張っている。私もチャレンジしよう」。独学で猛練習した。

 83年、フルマラソンで日本一になり、その後7連覇。パラリンピックは84年のニューヨーク・アイレスベリー大会から3大会連続出場し、2008年の北京大会では副団長も務めた。

 初めてパラリンピックに出た時、世界の競技レベルの高さに圧倒された。日本でも注目してほしいと、山本さんは県内各地で講演会を開き、片足の走り高跳び、義手の卓球など、障害を感じさせないスーパープレーの数々を紹介し、魅力を伝えている。

 山本さんは熊本機能病院(北区山室)で中途障害者の相談役として、リハビリを手伝いながら、競技を勧めることもある。事故からしばらくは精神面でも余裕を失い、将来を考えることができなくなっていたが、スポーツを始めてから前向きになり、行動範囲が広がったという自身の経験からだ。

 陸上女子三段跳びの元女王で、事故後に車いす陸上に転じた中尾有沙さん(30)=大津町=も山本さんに誘われ、新たなスタートを切った一人。「競技のことだけでなく、日々の生活面のことなども相談に乗ってくれ、うれしい」と中尾さん。

 「熊本には障害者が気兼ねなくスポーツに打ち込める施設がない。東京大会を機に障害者に対する理解が深まり、ハード面とソフト面の環境がさらに整ってほしい」と山本さん。全ての障害者がスポーツを楽しめる社会を目指して走り続ける。(小山智史)

(2018年7月20日付 熊本日日新聞朝刊掲載)

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