たくさんの民家が立ち並(なら)ぶ長崎市横尾(よこお)の住宅(じゅうたく)街。ここは昔、田畑が広がる農村でした。地元の市立横尾小では、昔の生活ぶりや伝統(でんとう)を学ぶ授業(じゅぎょう)を取り入れています。
「昔はどんなくらしだったの?」「受けつがれているだんじりが知りたい」。3年生38人がテーマ別に分かれ、地域(ちいき)住民を取材。調べたことをまとめ、新聞を作って発信しました。題して「横尾のスクープをさがせ!」。
まずは全員で、地元の歴史にくわしい横尾だんじり保存(ほぞん)会会長の川原義國(かわはらよしくに)さん(79)に昔のことを教えてもらいました。そして「自然」「昔のくらし」「伝説」「方言」「横尾だんじり」の5班(はん)に分かれ、取材開始です。
□豊作(ほうさく)を願い
横尾だんじりは、豊作(ほうさく)を願ったり、収穫(しゅうかく)祭で奉納(ほうのう)したりするため、明治初期に始まったそうです。木でできた大きな引き車「山車(だし)」を引っぱりながら、笛や太鼓(たいこ)のはやしに合わせて練り歩きます。
1955年ごろに参加する人が少なくなって途絶(とだ)えましたが、「(家がたくさん建って)田んぼはなくなったけど伝統芸能(げいのう)だけでも復活(ふっかつ)させよう」と、97年に保存会を設立(せつりつ)。高さ3メートル、幅(はば)3メートル、長さ4メートル、重さ約500キロもある山車は2005年に復活し、山にたくさん生えていたヤマツバキがデザインされました。
「(はやし方には)何種類の楽器があるの?」。児童がたずねると、笛やつりがね、締(しめ)太鼓を見せてくれました。つりがねのバチは何とシカの角! 背丈(せたけ)を超(こ)えるほどの大太鼓は、三田正輝(さんだまさき)君も「すごい大きかった。たたかせてもらったけど、むずかしかった。またやりたい」。筒(つつ)の中に銭(ぜに)が入った銭太鼓にも興味津々(きょうみしんしん)でした。
□大変な作業
地域住民が持ちよった昔の農機具や生活用具を展示(てんじ)する校内の社会科資料(しりょう)室。昔のくらし班が、どんな道具を使って田植えや稲刈(いねか)り、炊事(すいじ)や洗濯(せんたく)をしていたのか、実際(じっさい)に触(ふ)れながら取材していました。
昔はだれの家にもあったいろりは、おかずが入った鍋(なべ)をあたためたり、暖房(だんぼう)代わりに使ったり。「家族みんなで囲み、だんらんする一番大切な場所だった」と、保存会の平山(ひらやま)セツ子(こ)さん(74)は教えてくれました。「今は電気で便利だけど、昔は一つ一つの作業が大変だったんだな」。熱心に聞き入っていた東尾(とうのお)凛(りん)さんはひしひしと感じていました。
自然班は、昔のまま残る地元の猿田(さるた)川などを見学。「横尾は自然がいっぱいですごい」。野口(のぐち)ひなたさんは、あらためて思いました。
□クイズ形式
取材後は新聞作り。自分が感じたことを、分かりやすくどう伝えようか-。考えながら、1枚(まい)の新聞にまとめていきました。
伝説班の大西真生(おおにしまお)さんは、キツネの伝説に出てくる大きな「いなり岩」を紹介(しょうかい)。高さ6・5メートル、長さ10メートルと数値(すうち)を示(しめ)し、見ていない人にもどのくらいの大きさなのか分かるよう工夫をしていました。
方言班の大山友葵(おおやまゆき)さんは、視点(してん)を変えていました。教えてもらった方言をクイズ形式で出題。「みんなに楽しく知ってもらおうと思った」
□横尾大好き
「自分たちが住むまちにはすごいこと、面白いことがたくさんあった」。それを、写真を目立つように切りぬいたり、色分けして見出しをつけたりして新聞で表現。完成後は一人一人が発表し、まちの魅力(みりょく)を伝え合いました。
「ねえ、知ってる? 横尾にはね…」。自分たちでつかんだスクープを、いち早く教え合う子どもたち。その得意げな表情(ひょうじょう)には、「横尾が大好き」という気持ちがあふれていました。
◆メモ 松崎邦彦(まつざきくにひこ)校長、児童数304人。1977(昭和52)年創立(そうりつ)。4年生の総合(そうごう)的な学習では、3年生で学んだ社会科資料(しりょう)室の農機具を実際(じっさい)に使い、田植えから稲刈(いねか)り、炊飯(すいはん)まで全てを体験。横尾(よこお)だんじりにも挑戦(ちょうせん)する。敷地(しきち)内にはバーベキュー場もある。