73歳の“応援団長” 10年間、創成館野球部を見守る平さん 県外出身選手の親元へは新聞など郵送

 「帽子は甲子園初出場の時に稙田監督から、Tシャツは選抜で活躍した選手からもらった。全部げん担ぎですたい」。この10年間、創成館野球部を見守ってきた長崎県諫早市の平義文さん(73)はこの日、柔和な笑みを浮かべながら、スタンドから声援を送った。結果は6-1の快勝で、すっかり覚えてしまった校歌が流れる。「最高ですね」。“応援団長”は潤んだ目で、そうつぶやいた。

 きっかけは10年前のある選手の一言。「こんにちは」。爽やかで、力強いあいさつ。自宅に近い学校は「良くない時代の印象があった」が、立ち止まって一礼した丸刈り頭が心に残った。後日、何の気なしにグラウンドで練習試合を見た。そこで目にしたホームラン。打席にはあの日の球児がいた。気がつけば、次の日も、その次の日も、グラウンドにいた。

 それからは完全にはまった。選手の父母ら顔見知りも増えた。「少しでも役立てば」。若いころの野球経験を生かして、試合の戦評や打率などをまとめ、県外出身の選手の親元へは活躍が載った新聞や試合のDVDなどを郵送するようになった。必ず応援にくる「優しいおじいちゃん」は、いつしか選手や保護者にとって、なくてはならない存在となった。

 応援を始めて2年後の秋。交通事故に遭い、7日間生死の境をさまよった。医師から「一生寝たきりの可能性もある」と言われ、仕事も続けられなくなった。でも、球児たちへの思いは捨てきれなかった。それから約2年後の2013年、創成館の春の選抜初出場が決定。「現地で応援せんばいかん」。懸命にリハビリに励み、甲子園のアルプススタンドに駆け付けた。

 息子の裕之さん(39)は、父のそんな姿を見て苦笑いする。「父に引っ張られて応援を始めたが、今では家族全員がファンですよ」。創成館が初めて甲子園に立ったあの時、ツタが絡まる球場の前で孫と撮った写真は、一生の宝物だ。

 3年ぶりの夏をつかんだこの日。グラウンドに拍手を送りながら「みんな孫のようなもの」と目を細めた。そして、一緒に応援した2人の小学生の孫に夢を見た。「この子たちが創成館で野球をする姿を見たいね」。73歳の応援団長はこれからもずっと、チームと一緒に夢を追い掛けていく。

炎天下のスタンドで、創成館の選手たちを見守る平さん=長崎県営ビッグNスタジアム

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