長崎大水害36年、教訓は- 「特別警報」も避難所わずか 長崎市は豪雨に「限界」 大村市は「防災ラジオ」配布7割

 死者・行方不明者が299人に上った1982年の長崎大水害から23日で36年。今月の西日本豪雨では広範囲にわたって長崎大水害以降最悪となる被害が発生した。長崎県内では初めて「大雨特別警報」が発令されたが、死者はいなかった。大雨特別警報が出た6日午後5時10分を軸に、関係機関と住民の動きを追った。

 ■危機的な状況

 長崎大水害の際、西彼長与町役場で23日午後7時からの1時間に187ミリ(現在も国内観測史上1位)の雨量を記録した。前日までに降り続いた雨で地盤が緩んでいたところに豪雨が重なり、長崎県内各地で土砂崩れが頻発。民家の全半壊および一部破損が計2649件、被害総額約3153億円の甚大な被害に見舞われた。

 「西日本豪雨の際、長崎県は長崎大水害の時と似たような状況にあった」。長崎地方気象台の担当者は振り返る。

 大雨特別警報が発令された6日夕。前日から局地的に激しい雨が降り、5日午前0時~6日午後7時の総降水量は佐世保市干尽町347ミリ、長崎市長浦岳328ミリ-などに達していた。6月29日の大雨、7月3日の台風7号接近に続く豪雨。同気象台の宮田博治気象情報官は「地盤が緩んでいた場所も多く、本当に危機的な状況が迫っていた」と強調する。

 ■住民対応二分

 長崎県と同気象台は、避難勧告の目安となる土砂災害警戒情報を6日午後4時半ごろまでに長崎県内の広範囲で発表。佐世保市の相浦川と早岐川は増水に伴い一時、氾濫危険水位を上回り、佐世保市は6日午後3時15分に相浦、早岐両地区に避難指示を出した。

 住民の対応は分かれた。相浦川周辺に住む主婦(65)は「怖いくらい川の水位が上がっていた。高台の神社に避難した」と当時の状況を語る。一方、避難しなかった自営業男性(73)は「何かあっても2階に上がればいい。たいしたことないと思った」。同市防災危機管理局の担当者は「避難するように住民を動かすためにはどうしたらいいのか」と頭を悩ませる。

 ■予報が外れて

 災害や避難情報の伝達は住民の安全に直結する。大村市は2016年から市民に無償で速報性に優れた防災無線ラジオを貸し出し、現在約7割に配布。西日本豪雨以降、貸し出しを求める市民が連日、市役所を訪れている。大村市危機管理課は「災害への危機感は高まっている」とみる。

 一方、避難所の開設が遅れた自治体もあった。6日午後3時51分に土砂災害警戒情報が出た長崎市は、民間の気象情報会社などの予報を基に「今後大きな雨量はない」と判断。ところが、1時間20分後には大雨特別警報が出され、市は三重、琴海、外海の3地区に避難勧告を発表。この時点で3地区全32カ所のうち6カ所しか開設できていなかった。長崎市には、避難所に入れなかった住民からの問い合わせや苦情が多く寄せられた。

 長崎市防災危機管理室は「予報が外れ、遅れてしまった。できる限り早く開設したいが、全ての避難所を即座に開設するのは限界がある」として、避難する前に事前に市役所に電話するよう呼び掛けている。

 ■リスク把握を

 日本防災士会県支部の川浪良次事務局長は、長崎大水害時と比べると、災害情報の精度、速さも格段に上がっていることから「早め早めの行動で自分の身を守ることはできる」と指摘。
 避難すべきかどうか判断するためには「自分の住む地域の災害リスクを把握しておくことが大事」とした上で、「緊急時に住民同士で声を掛け合えるよう普段からの関係づくりが大切」としている。

大雨で一時的に氾濫危険水位まで増水した相浦川=6日午後4時22分、佐世保市
6日午後5時10分ごろ、スマートフォンに送られてきた緊急速報の画面

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