【やまゆり園事件2年】持説正当化、謝罪なく 植松被告、本紙に手記

【やまゆり園事件取材班=石川泰大、高田俊吾、竹内瑠梨】相模原市緑区の県立障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者ら45人が殺傷された事件は26日で発生から2年。殺人などの罪で起訴された植松聖被告(28)は昨年3月以降、神奈川新聞記者との手紙のやりとりや面会に応じていた。事件から1年8カ月がたった今年3月にはノート22ページに及ぶ「手記」を寄せ、犯行直後の行動や拘置所での暮らし、意思疎通の取れない重度障害者への差別的な考え方などをつづった。

 記者は横浜拘置支所(横浜市港南区)などで8回にわたって接見し、19通の手紙をやりとりした。

 手記が届いたのは、2度目の精神鑑定のため、植松被告が立川拘置所(東京都立川市)に移った後の3月29日。B5判の青い表紙のノートに1万2541字。ボールペンを使い、丁寧な言葉遣いで一行一行に小さな文字がびっしりと並んでいた。

 「今、やまゆり園で起きた事件の犯人は私です。世界平和のためにやりました」。犯行直後、園から約7キロ離れた津久井署に車で出頭し、自らそう告げたという。包丁を握っていた右手にけがをしていたため、ばんそうこうを求めたが、対応した警察官は無言のまま。「この時に、自分が犯罪者として扱われている自覚を持った」と振り返った。

 逮捕後に津久井署から横浜地検に送検される際、ワンボックスカーの中で笑みを浮かべた植松被告。当初は「上着で顔を隠すつもりでいた」が、多くの報道陣に車を取り囲まれ、フラッシュが瞬く騒然とした雰囲気に「見たことのない世界への好奇心から顔を上げてしまった」と述懐。「我ながらぞっとするような表情を世にさらすことになった」と心境をつづった。

 起訴後から続く拘置所での暮らしについても触れ、「毎日のように夢を見る。日常生活がつまらないため、眠っている時は自由が欲しいと考えているのかもしれない」などと記した。

 ノートには「心ある『障害者』ではなく、『意思疎通が取れない者』を安楽死させるべきだ」「どれだけの金と人手、物資が奪われるかを考え、泥水をすすり飲み死んでいく子どもを思えば、心失者の面倒を見ている場合ではない」などと自らを正当化する記述が多く見られた。

 これまでのやりとりで、犠牲者や遺族への明確な謝罪の言葉はない。

◆相模原障害者施設殺傷事件 2016年7月26日未明、相模原市の県立障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が刃物で刺されて死亡、職員2人を含む26人が負傷した。元施設職員植松聖被告(28)が17年2月、殺人や殺人未遂などの罪で起訴された。横浜地検は5カ月間の鑑定留置を行い、完全責任能力が問えると判断。被告は事件前の16年2月、障害者殺害を示唆する言動を繰り返して措置入院となり、翌3月に退院したが、相模原市などは退院後の住所を把握しておらず、対応が不十分との指摘も出た。被告は逮捕後も「障害者はいなくなればいい」などと供述したとされる。

植松被告から本紙記者に届いた手記

© 株式会社神奈川新聞社