大水害の残像

 長崎東と長崎西、伝統校の対決を野球場で見て、スタンドが沸きに沸いたのを覚えている、と先日の小欄に書いた。1981年夏、全国高校野球選手権の長崎大会決勝である。すると、37年前の熱戦を同じく懐かしむ、何通かのはがきを頂いた▲その1通に「記憶に残る昭和56年でしたね」とあり、続けてこうつづられている。「翌年は長崎大水害ですが…」。ああそうだ、昭和57年だ、とうなずく。なぜだろう、遠い往時の出来事は西暦ではなく、「昭和○年」と元号で覚えておくことが多い気がする▲こちらもまた、1957年だとはすぐに出てこないが、「昭和32年」とはすっと言える。死者・行方不明者630人に上った諫早大水害の発生から、きのう25日で61年たった▲西日本豪雨の被災地の様子を知るにつけ、長崎大水害が思い出されて…と身近に聞く。「平成で最悪」の水害に、昭和の記憶が二重写しになるらしい。諫早大水害に遭った方もまたしかりだろう▲真っ暗闇の町を濁流が丸のみにした夜の証言を読み返す。家族が目の前で流された人がいる。屋根に逃げた瞬間、真下をごうごうと水が襲ったと語る人がいる▲あの時どうだったかを語り続けながら、「いま起きたらどうするか」と語るのも忘れまい。昔語りでは終わらせられない昭和の残像である。(徹)

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