『日本語を翻訳するということ』牧野成一著 スリリングな日本語論

 翻訳方法や英作文の指南書ではない。本書は日本語を翻訳した際に何が失われるかを分析することによって、日本語の特性を解き明かしていく実にスリリングな言語論だ。

 翻訳すると当然、日本語の音やリズムが失われる。だが失われるのは響きだけではない。「つらいから休む」と「つらいので休む」は翻訳すれば同じ文章になり、「から」と「ので」の微妙なニュアンスの違いが消える。冷たく響く口蓋音の「から」を、優しく伝わる鼻音の「ので」にすると、相手との心理的な距離感が近くなる。

 ひらがな、カタカナ、漢字の表記が示す意味合いの違いも翻訳で消える。その違いとは著者によれば、心理的な距離感が近い順に、ひらがな、漢字(訓読み)、漢字(音読み)、カタカナになる。

 たとえば「嵐山」のように訓読みの山は標高が低く親しみやすい里山に多く、「富士山」のように音読みの山は高くて信仰の対象となる山が多い。島で言えば、訓読みの「父島」は比較的小さく、音読みの「礼文島」は大きい。もし宮沢賢治の「雨ニモマケズ」をひらがなで書いたら、親しみやすくはなっても原文の持つ宗教性は失われる。

 一つの文章で過去形から現在形に時制が変わる時、何が起こっているのか。ですます体から、である体に転じる時は? 夏目漱石や村上春樹作品の英訳文を引きながら、著者は日本語の深層に分け入っていく。ここで「わけいっていく」と表記するとどう変わるのか。そんなことを終始考えさせられる。

(中公新書 780円+税)=片岡義博

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