神奈川を代表する2球場 保土ヶ谷球場と横浜スタジアムに抱く選手の思い

保土ヶ谷球場とならび神奈川の代表球場である横浜スタジアム【写真:編集部】

「ドカベン」が伝え続けた保土ヶ谷とハマスタの魅力

 大阪とともに野球戦国地である神奈川県。中心都市・横浜には球史に残る球場がある。

 保土ヶ谷球場と横浜スタジアム。

 趣がまったく異なる2球場には多くの思い、そしてドラマが変わらず生きている。

「神奈川を制するものは全国を制す」とはうまく言ったもの。プロのベイスターズを頂点に、大学、高校と強豪校が目白押し。あまり知られてはいないが、硬式のみではなく、中学世代の全日本少年軟式野球大会も神奈川で行われている。

 ベイスターズの本拠地、高校野球の決勝の舞台、そして2020年五輪の野球会場。その横浜スタジアム(以降ハマスタ)が際立っているように感じるが、神奈川県内には多くの個性的な球場が存在する。中でも高校野球のメッカとも言えるのが、保土ヶ谷球場(現サーティーフォー保土ヶ谷球場)である。

「ハマスタも好きですが、やっぱり保土ヶ谷には独特の雰囲気がある。だから描きやすかった」

 漫画家の水島新司先生が以前語ってくれたことがある。神奈川、いや保土ヶ谷球場を全国に知らしめたのは「ドカベン」。主人公・山田太郎の中学からプロまでの野球人生を描いた、まさに伝説的野球漫画。多くのプロ野球選手たちにも愛されてきた。
「まずは土のグラウンドだから、土煙など臨場感を描きやすい。また土だから生まれたドラマもある。外野も芝だからセンター山岡がカバーに行ってトンネルしたりね」

 山田が高校1年夏、入学した明訓高が甲子園初出場を完全試合で決めた場所。そして、1年秋には決勝で新キャプテン山岡が牽制球のカバーをまさかのトンネルで失点。その後、新入部の微笑が逆転サヨナラ満塁本塁打で関東大会出場を決めた。

「あとはよく言われるけど、スコアボードの形など、どこか甲子園を想像させる。そういう部分があるから保土ヶ谷から甲子園へ行く大変さ、過酷さみたいなものが伝わるんじゃないかな」

 山田のいた時代の明訓高はその後、5季連続で甲子園出場。うち4度の全国制覇を成し遂げる。そして、3年最後の夏の決勝はハマスタでおこなわれた。

「ハマスタは逆に人工芝だからのドラマも描けた。こもった水蒸気を伴った熱気。スライディングキャッチした時に摩擦で擦り傷ができたり。大げさに言うと新しい時代の甲子園への難関というかね。ドカベンは神奈川を舞台ということで、2つの素晴らしい球場を取り上げられて良かった」

 高校卒業後、山田は西武へ入団し、戦いの舞台を西武ドームに移した。

東海大相模内でも投手と野手で分かれる保土ヶ谷のイメージ

 保土ヶ谷球場は1949年開場。現在は両翼95メートル、中堅120メートル、収容人員約1万5000人とアマチュア使用には十二分な大きさを誇る。50年代にはプロ野球公式戦が行われたこともある。

 夏の神奈川大会決勝は市内にある横浜公園平和野球場を使用していたが、老巧化のため1970年代に保土ヶ谷を使用。78年に平和野球場が改修され、現在のハマスタとなってからは会場はそちらに移った。現在、夏は準々決勝以降がハマスタで開催されている。そういったことからも、現在の選手たちはハマスタと保土ヶ谷に対する想いは変わってくる。

 春10回、夏10回の甲子園出場(春2回、夏2回の全国制覇)を誇る東海大相模高OBの広島・田中広輔。同級生に巨人・菅野智之がおり、常に優勝候補に挙げられていた。2年春に甲子園出場経験こそあるものの、夏の大会では惜しくも敗退している。

「聖地はやっぱりハマスタ。保土ヶ谷ではそういう気持はないですね。選抜大会には出ましたけど、自分たちで勝ち取ったという気持はやっぱり弱かった。どうしても夏に勝ち取りたかったんですが、負けてしまったのでね…。今、ハマスタはいろいろ改修しているそうですけど、僕の中では高校時代と全く変わっていないです。ベイスターズ・ファンも増えたりして盛り上がっているけど、僕の中では変わらない。ここに来るといつでもあの時の、高校時代の感覚と同じ」

 同じ東海大相模OBの後輩となる中日の小笠原慎之介。投手の立場からすると、保土ヶ谷の存在位置は少し変わってくるようだ。

「保土ヶ谷はキレイだし雰囲気が好きでした。それに相模は夏の初戦が保土ヶ谷で行われることが多い。だから、そこに向かってコンディションも気持ちも高めていかないといけない。そういう意味では、僕らのような投手の方が保土ヶ谷に対する気持は強いんじゃないですかね。しっかり抑えて、その後の戦いにつなげていかないといけないですから。でも、ハマスタはやっぱりテンション上がる場所でしたね。お客さんもたくさん入ったし、甲子園まであと少しの戦いの場所ですからね」

横浜高を育てたと言っても過言ではないハマスタ

 ハマスタといえば横浜高だろう。なんと春15回、夏16回の甲子園出場(春3回、夏2回の全国制覇)。グリーンの鮮やかな人工芝と横浜をイメージしたY形の照明灯の下には、横浜高のグレーのユニホームがよく映える。中でも印象的なのは、やはり90年代にエース松坂大輔(中日)を擁した世代は、小池正晃(DeNAコーチ)や後藤武敏(DeNA)、小山良男(中日スカウト)など、その後、数多くのプロ選手を輩出。98年には春夏連覇を成し遂げた、まさにプラチナ世代だ。「いい思い出も悪い思い出もある。特別なスタジアムですね 」。2008年、久しぶりにハマスタへ足を踏み入れた松坂が、こう語ったのも理解できる。

「やっぱりハマスタは特別。いろいろありましたけど、本当にいい思いをさせてもらったと思う。だから、ここでダイスケと対戦したい。あの時のメンバーで現役で残っているのは2人だけですからね」

 そして、その松坂との対戦を熱望するのは後藤である。高校時代から20年以上経ても熱い思いを共有できる。これも野球の素晴らしさだ。

「高校時代のことももちろんですけど、小池の最後の試合も印象に残っている。あの場面で打つなんて、やっぱり小池はさすがだと思った。まぁ、寂しい気持ちもあったけど、あれはずっと記憶に残る2本ですよね」

 そう後藤が語ったのは2013年10月8日、ハマスタでの阪神戦。この年限りでの現役引退を表明していた小池は、引退試合となったこの試合にスタメンで出場、2本の本塁打を放った。

「プロに入ってあまり結果は出せなかった。正直、ハマスタで悔しい思いもたくさんしてきた。でも、最後にああいう形で打てた。一生、忘れることはない。自分の実力以上のものをファンの方を含め、ハマスタが生み出してくれたと思う」(小池)

 高校時代から続いてきたストーリーが完結を迎えた瞬間。多くの人々の目には光るものがあったが、小池にとってこれ以上のハッピーエンドはない。安っぽい三流映画でも描けない、出来すぎたストーリーであった。

2020年、そしてそれ以降へ歩みを進めるハマスタ

 そんなハマスタも次世代へ向かって動き始めている。2020年の東京五輪での野球競技会場に決定。ベイスターズ人気もあり、大幅な改修、リニューアルが現在進行形で行われている。

 現在、コーチの立場として次世代のスラッガーを育てている小池が、ハマスタの未来への思いを語ってくれた。

「保土ヶ谷でも試合はたくさんやりましたが、甲子園を決めるとか、大きな試合はハマスタ。だから、やっぱり聖地はハマスタ。今、いろいろと改修して本当に活気が出てきていると思う。少し前までは試合があるのかどうかもわからないというか、閑散としたイメージだった。球場全体が変わってきた感じがする」

「2020年に向けて2階席ができたり形は大きく変わる。だからリニューアルというより新しいハマスタができるという感じ。その新しいハマスタでプレーする選手を1人でも多く育てたいと思う」

 CS放送ながら現在も人気番組である「プロ野球ニュース」。番組の顔でもある「今日のホームラン」のコーナー冒頭では、1980年代の古き良きハマスタの円形の空撮が映し出される。まもなくこの円形の形状も見納め。少し寂しくはなるが、ハマスタは着実に前に向かって進んでいる。

 高校野球は100回の記念大会、そして平成最後という記憶に残る夏。そしてペナントレースの熱戦がクライマックスを迎える季節がやってきた。強い陽射しに乱反射する土と芝のフィールド。カクテル光線に照らされ、涼しげな海風を浴びる人工芝。プロ、アマといったカテゴリーや選んだ時間によってさまざまな表情をみせてくれる保土ヶ谷とハマスタ。まったく異なる歴史、ドラマを刻んできた2つの素晴らしい球場をもつ横浜が、うらやましい。(山岡則夫 / Norio Yamaoka)

山岡則夫 プロフィール
 1972年島根県出身。千葉大学卒業後、アパレル会社勤務などを経て01年にInnings,Co.を設立、雑誌Ballpark Time!を発刊。現在はBallparkレーベルとして様々な書籍、雑誌を企画、製作するほか、多くの雑誌やホームページに寄稿している。最新刊は「岩隈久志のピッチングバイブル」、「躍進する広島カープを支える選手たち」(株式会社舵社)。Ballpark Time!オフィシャルページにて取材日記を定期的に更新中。

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