【特集】時代の振付師、クリエイターたち 浅利さん、加藤さんら4人をしのぶ(1)

浅利慶太さん(左)と加藤剛さん(右)=浅利さんは2007年、加藤さんは1997年撮影

 元劇団四季代表の浅利慶太さん、俳優加藤剛さん、俳優常田富士男さん、脚本家橋本忍さん。昭和から平成にかけて、演劇、映画、放送の世界に大きな足跡を残した、この4人の訃報が伝えられたのは7月であった。とても同じくくりで語ることはできないが、時代、時代の振付師、クリエイターとして注目を集めた方々だ。目に留まった逸話や過去の作品を取り上げ、故人をしのびたい。(共同通信=柴田友明)

佐藤栄作首相(当時)の退陣表明=1972年6月

 

 「新聞は外へ出ろ」

 

 浅利慶太さん(85)、7月13日死去。劇団四季を率いて、1983年初演の「キャッツ」など、ミュージカル作品のロングラン公演を実現させた。学生劇団の担い手からスタート、ショービジネスを日本に根付かせただけでなく、政財界のトップたちと交友を深めて時として彼らの「演出」も担った。「『退任時に国民にテレビで語りかけを』というアドバイスの不幸な行き違いがあった」(2018年7月19日毎日新聞・余録)というエピソードもあった。

 1972年6月13日、当時の佐藤栄作首相が退陣表明の記者会見に臨んだ際、「テレビは真実を伝えるが、偏向している新聞は大嫌いだ」「帰ってください」「外へ出ろ」などと発言。記者が抗議し総退席した後、1人テレビカメラに向かって語る異例の会見となった。8年近くの長期に及んだ佐藤政権の終幕を物語る歴史的シーンとして記憶される。浅利さんが佐藤氏にテレビを通じて国民に語りかけることの大切さを助言していたことが、この「記者退出事件」の背景とされ、不幸なボタンの掛け違いが起きたということだ。

 浅利さんの著書「時の光の中で」(文芸春秋社)などによると、佐藤氏が山口、長州なまりを直すため、浅利さんが家庭教師になったことが交友のきっかけとされる。以後、田中角栄、中曽根康弘、竹下登ら各氏の閣外ブレーンを担ったことはやはり異色の経歴と言える。

 

左から加藤剛さん、吉永小百合さん、仲代達矢さん=1977年、TBSテレビドラマ「海は甦える」制作発表

 「揺るぎない信念を持つ誠実な人物」

 

 俳優加藤剛さん(80)、6月18日に死去。7月9日に逝去が報じられた。野村芳太郎監督の映画「砂の器」は、過去を封印した天才音楽家を演じて代表作となった。テレビ時代劇「大岡越前」で主演して、大岡裁きが当たり役となった。

 「僕は大岡さんを、『法は人を救うものだ』という考えの持ち主として演じてきました。権力を背負いながらも、弱い立場の人、理不尽な目に遭っている人を大事にし、法だけが威張ることのないように正義の立場に立つのが越前です。番組が長く続いたのも、庶民が作り上げたこの人物像がいまでも皆さんの指示を得たからだと思います」(しんぶん赤旗2006年3月8日)。

 過去のインタビュー記事で加藤さんがこう語っている。なるほど、あの端正な演技について、俳優自身の心持ちが分かり興味深い。「揺るぎない信念を持つ誠実な人物が似合った」と、共同通信の「評伝」記事ではそう伝えている。

 筆者が初めて加藤剛さんを知ったのは大河ドラマ「風と雲と虹と」(1976年)だった。主役の「平将門」を演じた。高校日本史で習った「承平天慶の乱」では、関東で平将門、瀬戸内海で藤原純友が反乱を起こし、朝廷軍に鎮圧されるというストーリーだ。加藤さんは民衆側に立って、「官」と向き合い戦う、正義感あふれる平将門だったと記憶している。近年では映画「舟を編む」(2013年)で辞書監修者としての役者ぶりも印象に残った。

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