2010年12月、福岡高裁が国に5年間の常時開門を命じ、万歳を繰り返したあの日から約7年8カ月。国の上告見送りで判決は確定したはずだった。まさか、同じ裁判所で、正反対の司法判断を聞くことになるとは誰が想像しただろう。国側の訴えを認めた30日の請求異議訴訟控訴審判決。確定判決の原告の一人だった長崎県島原市の漁業、中田猶喜さん(68)は法廷で厳しい表情で判決を聞き、つぶやいた。「理解ができない」
祖父、父の跡を継ぎ、15歳で有明海の漁師になって半世紀。諫早湾干拓事業着工後、海の変貌に危機感を募らせた。かつて、シタビラメやエビ、タコが面白いように取れ、漁業者の暮らしを支えた“宝の海”。それが、1990年ごろのピーク時と比べると漁獲高は約5分の1に激減した。2日間でタイが約700~800キロ取れた大漁の日がうそのようだ。
国が再生事業に多額を費やしても、目に見える成果は感じなかった。「(海が)腐っていくのを黙って見ている自分を許せない」。そんな思いで開門訴訟に加わった。一審佐賀地裁に続き、堤防閉め切りと漁業被害との因果関係を認め、5年間の開門調査を命じた福岡高裁判決が確定。「これで漁業不振が回復する」と泣いて喜んだ。だが、守られるはずの約束は履行されないばかりか、この日の判決で事実上“無効化”された。「いつになったら有明海を取り戻せるのか」。無情に思える判決に肩を落とした。
今は水揚げがシタビラメ4、5匹だけの日も。燃油高騰も追い打ちを掛け、出漁する期間は次第に短くなった。漁だけで生活するのは難しく、一緒に船に乗る妻は時々、知人の農作業を手伝う。「有明海はこんなもんじゃない」。漁からの帰途、魚が少ない船のいけすを見るたび、悔しさが募る。
確定判決を守らない国、その判決を覆す高裁-。証拠に基づいて審理した結果の確定判決が軽んじられていないか。不信は消えない。
中田さんには温めている夢がある。これまでは抗議デモを繰り返してきたが、いつか「開門調査を実現させ、お祝いの海上パレードをやりたい」。この日の判決で、その実現のめどは立たない。それでも、報告集会では「絶対にあきらめない」と前を向いた。