けりはつくのか

 「着きにけり」といった古い言い回しの「けり」に由来するらしい。長く続いた問題を決着させることを「けりをつける」と言う▲過去に下した判断を自ら否定し、けりをつけたと言いたいのかもしれない。国営諫早湾干拓事業をめぐり8年前、福岡高裁は潮受け堤防の排水門を開門するよう命じ、判決は確定した。その福岡高裁がおととい、判決を事実上、無効とする判断を示した。けりをつけたと言うよりも、こういうのを「自己矛盾」と言うのではないか▲開門と非開門の司法判断が並び立ってきた「ねじれ」を解こうとしたらしいが、「開門せよ」と命じられても一向に従わなかった国の姿勢をあっさり容認するとは、どうもふに落ちない▲国は有明海再生のための基金で漁業者側との和解を目指す。ただし、開門しないことを和解の前提としている。案の定と言うべきか、漁業者との協議は物別れに終わった▲この高裁判決で敗訴した漁業者側は上告する。もし今回の判決が確定すれば、「開門」を願う漁業者側は最大のよりどころを失うことになる▲国は最高裁でけりをつけたいところだろうが、諫干の地元では、漁業者と農業者の立場の違いから分断も起きている。解きほぐすのは国の責任である。判決がどうあれ、最高裁でけりをつけると考えるのは早い。(徹)

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