(下) 「確定判決は何だったのか」 長い裁判闘争、地域分断

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 腰丈より少し低い稲の葉が、青々と揺れながら水田を彩る長崎県諫早市森山町。苗を植え付けた直後の7月初め、台風と大雨に立て続けに襲われた。だが、6日だけで約250ミリもの雨量を観測したにもかかわらず、その風景に変化はなかった。「これは間違いなく、堤防閉め切りの防災効果」。同町で農業を営む男性(70)は言い切る。「水に漬かったときを想定して、苗を多めに作っていたが、閉め切り後は減らした」

 国営諫早湾干拓事業で、湾奥部を全長約7キロの潮受け堤防で閉め切ってから21年。閉め切り前、同町など海抜より低い「低平地」と呼ばれる地域は大雨のたびに水田は湛水(たんすい)し、家は床下まで漬かった。同事業で造られた調整池は海抜より1メートル低い状態で保たれ、低平地からの水を流れ込ませるダム機能を持つ。高潮を防ぐ海抜7メートルの潮受け堤防と併せ、水害に悩まされる日々は少なくなった。

 国に開門を命じた福岡高裁判決の確定から7年8カ月。7月30日、一つの転機といえる判決が同じ高裁で言い渡された。開門命令の履行を強制せず、国に科された間接強制金(罰金)を免除する内容。判決に注目していた市自治会連合会の古賀文朗会長(78)はこうつぶやいた。「あの(確定)判決は一体、何だったのか」

 2010年12月の同高裁判決は漁業被害と堤防閉め切りとの因果関係を認め、「3年猶予後、(排水門の)5年間常時開放」を命じた。民主党の菅直人首相(当時)は上告を見送り、“政治判断”で判決を確定させた。

 「あの時、国が上告しておけば、混乱はここまで長引かなかった。司法が正気を取り戻した」。確定判決の開門命令を「無効」とした今回の司法判断を、古賀会長は「当然のこと」と評価する。

 長崎県諫早市の宮本明雄市長は当時、菅首相の上告断念を阻止しようと動いた。しかし、願いは届かず、国の開門方針と、それに反対する市民とのはざまで右往左往する日々が続いた。今回、同高裁が、諫干事業問題の核心である漁業被害に触れなかったことに首をかしげつつ、一部で「無駄な公共事業」と批判されてきた「負のイメージ」を克服する転機ともみる。

 市内では同事業で創出された“副産物”の利活用が進む。干陸地への花の植栽、本明川の競技用ボート場整備、堤防道路を生かしたウオーキング大会やフルマラソン構想-。「大きな一歩にならないが、一つのステップになる」。宮本市長は、長い裁判闘争で分断された市民を案じつつ、地域再生への期待を抱いている。

台風や大雨が相次いだ後も湛水被害に見舞われなかった水田地帯=7月7日、長崎県諫早市川内町