「平和への誓い」初の県外在住者 被団協代表委員の田中熙巳さん 核の悲惨と9条への思いを

 〈今年の長崎原爆の日の平和祈念式典で「平和への誓い」を読み上げる被爆者代表は、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の代表委員、田中熙巳さん(86)=埼玉県新座市=が務める。県外居住者から初の選出。どんな思いを発信するのか聞いた〉

 -初の県外在住の被爆者代表として注目が集まっている。
 責任重大。荷が重く耐えられないぐらい。いろいろな人から薦められて公募に応募した。平和祈念式典にはほぼ毎年出席し「平和への誓い」を聞いているが、まさか自分がその場に立つとは思ってもみなかった。ただ、やるからには核兵器や原爆がどんな悲惨な結果をもたらすのかを訴えたい。
 -「平和への誓い」のポイントは。
 昨年、国連で採択された核兵器禁止条約と結び付けた点。これまでいろいろな人が原爆の惨状を証言してきたが、日本で核兵器をなくそうという世論が高まっているとは思わない。ましてや世界では核兵器の恐ろしさがほとんど知られていないのではという焦りがある。そうした中で条約ができ、多少なりとも関心が高まっている。核兵器廃絶への道筋が見えてきたことや、条約に署名しなかった日本政府のことについて思いを伝えたい。憲法9条を守ることも訴えたい。
 -日本政府はなぜ条約に署名しなかったと思うか。
 理由は、米国に本当に守ってもらおうと思っているか、守ってもらうふりをして米国に自動車などを売り込もうとしているかのいずれかだろう。私は後者だと思う。軍需産業はもうかるし、政府には政府の事情があったのだろう。
 -国会の改憲論議をどう見ている。
 戦争を知らない人たちがゲームをやるように9条を変えようとしている。9条の精神は世界に誇るべき規範であり、安倍晋三首相にはそのことをちゃんと理解してほしい。
 -式典にはどう臨む。
 式典会場近くはあの日から数日後、黒焦げになったおばさんたちの遺体を見つけた場所。9日は命日。脳裏に焼きついた惨状を思い起こし、そしてそれ以上に平和で核兵器のない世界を願いつつ、あの場所に立ちたい。

 【略歴】たなか・てるみ 13歳の時、爆心地から3・2キロ離れた長崎市中川町の自宅で被爆。叔母ら親族5人を一度に原爆で失う。東京理科大卒。東北大工学部助教授を務め、1996年に定年退職した。工学博士。70年から被爆者運動に関わり、被団協の事務局長などを歴任。

平和への誓いに臨む気持ちを話す田中さん=埼玉県内

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