「自分の人生を生きたかった」 銃撃に虐待……命がけで国境を越えた大学生が、生きる希望を見つけるまで

エチオピアの難民キャンプ。隣国エリトリアから難民が絶えず到着する

エチオピアの難民キャンプ。隣国エリトリアから難民が絶えず到着する

「自分の人生を自分でコントロールできないような場所で、暮らしていけるでしょうか?」

こう語るのは、25歳のサイモン(仮名)だ。アフリカ北東部エリトリアから隣国エチオピアへ逃れ、難民キャンプで生活しながら国境なき医師団(MSF)のソーシャルワーカーとして働く。

“世界最悪の独裁国家”ともいわれるエリトリアでは、国民全員が無期限の兵役義務を負う。大学の専攻科目や職業も政府によって決められ、個人に選択の自由はない。抵抗すれば勾留され、拷問に遭う。こうした圧政から逃れるため、毎月約5000人が国外に脱出しており、その多くがサイモンのような若者だ。

エリトリア南部出身のサイモンは、大学生だった3年前に母国を離れた。「本当は難民にはなりたくなかったのですが……。自分の意思で進路を決め、まともな暮らしを送りたい。そのためには国を出るしかないと思いました」と語り始めた。 

専攻も就職先も国に決められる

ヒサツ難民キャンプで働くMSFのソーシャルワーカー

ヒサツ難民キャンプで働くMSFのソーシャルワーカー

家族には本当に感謝しています。父は子どもたちによい教育を受けさせようと、あらゆる手を尽くしてくれました。家計には大きな負担でしたが……。お金がなくて学校に行けなかった子もたくさん知っています。

でも、あるとき気づいたんです——周りの人はみな、大学を出ても家計が苦しく、家族を養えずにいるということに。多くが軍隊で働かざるを得ず、自分の人生を自分で決めることはできない状況でした。

エリトリア国防軍の兵士が描かれた看板

エリトリア国防軍の兵士が描かれた看板

エリトリアには徴兵制度があります。11年生(日本でいう高校2年生)の終わりに軍隊の試験を受けさせられ、12年生から兵役が始まります。試験の成績がよければ学業を続けられますが、それ以外の人には軍事訓練が待っています。大学の専攻は、試験結果と政府が定めた割り振りに応じて決まります。選択の余地はありません。

私は成績がかなりよかったので、進学できました。専攻は教育学と化学でしたが、軍の職務や訓練に時間がとられ、勉強する暇はありませんでした。成績評価には軍隊の経験が重視され、専攻科目の知識は二の次でした。本当は看護師になりたかったのですが、政府から「教職に就け」と言われれば、教師にならなくてはならない。最初に決められた専攻科目と違っていたとしても、です。

頭上に光る銃弾 決死の国境越え

荷物を抱えてキャンプへ向かうエリトリア難民

荷物を抱えてキャンプへ向かうエリトリア難民

あれは、人生で最悪の経験でした。大学の友人たちと一緒に国境地帯へ行き、脱出しようとしたんです。

夜だったので、暗闇の中どこに向かっているのか分からない状態。すぐ国境警備隊に見つかり、銃撃が始まりました。3年前のことですが、私の頭上をかすめるように飛んでいった弾の光は、今でも鮮明に覚えています。

一緒にいた女友達が倒れました。置き去りにはできず助け起こそうとしたところ、兵士たちに追いつかれ、私も彼女も激しく殴られました。ひどく負傷しているのに、治療も受けられないまま刑務所に2ヵ月収監され、再び軍の訓練に送られたんです。女の子がその後どうなったのか、今も分かりません。 

ヒサツ難民キャンプ内のMSF診療所。 6~9月はマラリアが流行する

ヒサツ難民キャンプ内のMSF診療所。
6~9月はマラリアが流行する

その数週間後にまた国境越えを試み、今度は成功しました。行き先がはっきり決まっていたわけではありません。分かっていたのは、「よい教育を受け、仕事を持って自分と家族の生計を立てていきたい」ということだけです。このキャンプに来て3年になりますが、どれも実行に移せないでいます。エリトリア難民の大半はここをすぐに離れて他へ移りますが、私には外国に行く資金はないのです。

後悔することもあります。キャンプ生活は楽ではないからです。食糧配給は受けられますが、十分ではありません。マラリアなどの病気にもかかりやすく、対策のしようもありません。こんな暮らしの中で希望を持ち続けるのは難しいことです。 

夢は叶わなかったけれど……

エチオピアコーヒーを淹れる現地スタッフ

エチオピアコーヒーを淹れる現地スタッフ

このキャンプに来たばかりの頃は、体調も悪かったんです。初めて国境を越えようとした時のことが常に頭から離れませんでした。刑務所や銃撃、拷問、虐待……。フラッシュバックや悪夢が繰り返し起きました。助けられなかった女の子のことが気にかかり、強いストレスと罪悪感を覚えました。

そんなとき、MSFが心理ケアをしていることを知り、行ってみたんです。カウンセリングのおかげで人生を立て直すことができました。そして、これなら私も人の役に立てると気づいたんです。ソーシャルワーカーに応募して、この仕事に就きました。

週例会議で課題を話し合う心理ケアチーム

週例会議で課題を話し合う心理ケアチーム

今は、心の問題やMSFの診療についての認知度を高めるために戸別訪問をしたり、人が集まる場を作ったりしています。スポーツイベントから伝統的なコーヒーセレモニー、劇団、写生会まで、さまざまな会を開催しています。こうしたアクティビティは来院のハードルを下げ、心の不調に対する偏見を克服するのに役立つんです。

ここでMSFのソーシャルワーカーとして働くことだけが、精神の安定とやる気を与えてくれます。目的があると、考えすぎないですみますから——この先どこへ引っ越そうとか、家族や友人、故郷が恋しいということを。

人びとは体と心、両方の傷に苦しんでいます。仕事を通じて皆さんを支え、具合がよくなっていく姿を見ると、「ここにいてよかった」と実感します。夢見ていた看護師にはなれなかったけれど、人助けはできている。だから、とても幸せです。

地中海で救助されたエリトリア難民の女性

地中海で救助されたエリトリア難民の女性

エチオピア北部のヒサツ難民キャンプでは1万人の難民を受け入れている。住民の約4割が18歳未満の子どもで、その半数は単独で逃げてきたか、避難途中に家族とはぐれるなどして保護者がいない。

MSFはエリトリア難民を対象とした心理ケアプロジェクトを2015年に立ち上げ、現在は年間約2800件の個別カウンセリング、3600件の精神科診療を行っている。心のケアに加え、1次医療と2次医療を提供している。

推定によると、エリトリア人難民の約8割がエチオピアの難民キャンプを1年以内に離れ、スーダンから地中海の玄関口であるリビアに向かい、欧州への移住を目指す。長期滞在するのは、旅費を捻出できない人や、スーダンやリビアで拉致・監禁などの被害に遭い、送還されてきた人だという。

心理ケアに抵抗感のある難民が多いことから、MSFは母国語で戸別訪問や啓発活動を行う難民のスタッフを採用。その多くが、MSFでカウンセリングや治療を受けたことのある元患者たちだ。現在、心理ケア担当者の数は26人。「同じエリトリア人としてキャンプ住民を助けたい」という思いで献身的に働いている。 

© 特定非営利活動法人国境なき医師団日本