『TIMELESS』朝吹真理子著 不器用な人々のささやかな生の共鳴

 読み終えたとき、2人の男女が薄野原を歩く姿が頭の隅に残っていた。あたりには不思議な香りが立ちこめている。虫の声が聞こえる。2人の道行きに400年前の記憶が重なる。2人はどちらも何かが欠けている。だからこそ、相手の名前を呼ぼうとしているのだ。

 うみとアミ。チェルノブイリ原発事故があった年に生まれたうみは、人を好きになる気持ちが分からない女性で、生まれ変わるならクラゲがいいと思っている。「クラゲのように、自然現象として水中にあらわれ海流にひたすら押し流されて死滅する。その、ほがらかな宿命に憧れている」

 うみと高校の同級生だったアミは、ガラス細工のような男性だ。化粧品メーカーで香料の研究をしている。好きな人と子どもをつくるのが怖くて、被爆3世であることも打ち明けられない。

 そんな2人が友人の結婚式に出席した後で、六本木を散歩する。400年前に江姫がこのあたりで火葬され、大量の香木が炊かれたこと。永井荷風の家が東京大空襲で焼けたこと。高校の修学旅行で広島の平和記念資料館に行った時のこと。友人の葬式のこと。さまざまな過去が2人の散歩に入り交じる。

 うみとアミは互いに恋愛感情がないことを確認し合って夫婦になる。徐々に変わっていく2人の関係が繊細な筆致で綴られる。やがてうみが妊娠し、アミが失踪する。

 後半の舞台は南海トラフ地震が起きてから8年後の2035年。うみは母親の芽衣子が経営する会社を手伝いながら、娘のこよみと息子のアオを育てている。こよみは、アミが失踪した日に父親を事故で亡くした少女で、養子縁組した。アオはアミとの子どもだ。

 アオは旅先の奈良にいる。後半の物語は17歳のアオの視点で語られ、新時代にふさわしい家族の在り方が問い直されていく。

 こよみが、2016年に広島を訪れたオバマ米大統領のスピーチを訳して感想を書くという課題に取り組むエピソードがある。原爆投下について「空から死が降ってきた」と表現したオバマに対してこよみは「空から、死は、降ってこない」と思う。「一九四五年八月六日、投下目標地点の相生橋から三百メートル離れた島病院上空で爆発した原子爆弾リトルボーイ。死が落ちてくる。そういうものが落ちるとしたら、それは人間が落としている」

 戦争や原発事故といった人災。大地震や洪水などの天災。人々は大きな時間の流れの中で、もがき苦しみながら生きてきた。うみとアミ、アオとこよみ。傷つきやすく不器用な人間たちのささやかな生が共鳴している。

(新潮社 1500円+税)=田村文

© 一般社団法人共同通信社