「原点」「聖地」―島根の高校野球を見守る松江市営野球場と県立浜山公園野球場

松江市にある開星OBのDeNA・梶谷【写真:荒川祐史】

甲子園でも強いインパクトを残してきた島根

 47道府県あれば、それぞれまったく異なる高校野球の物語がある。全国的に決して強豪県と呼ばれてなくとも、それは変わらない。島根県。「神在国」には神話に勝るとも劣らない、おもしろい野球がある。

 2018年夏、100回目を迎える甲子園記念大会に島根から出場するのは、益田東高だ。1回戦は大会第3日(7日)の第4試合で登場し、常葉大菊川(静岡)と対戦する。例年、島根の戦前の評価は全国的には決して高くない。もちろん全国制覇の経験もない。しかし、夏の甲子園では何かを起こしてくれる予感がある。

 島根の野球が全国に最も強い衝撃を与えたのは88年。谷繁元信(元横浜、中日、中日監督)を中心にした江の川高(現・石見智翠館高)は島根大会を圧倒的な強さで勝ち上がり、42年ぶりの県勢ベスト8進出を果たす。谷繁自身、島根大会全5試合で本塁打を放ち、予選通算7本塁打を記録。これは福留孝介(当時PL学園、阪神)と並び、現在でも地区予選記録として残っている。

「まぁ、僕も調子は良くて結果を出せたこともある。でもあの時のチームは各ポジションに良い選手がいた。総合的に見て強いチームだったと思う。そうじゃなければ、勢いだけで勝てるほど全国は甘くない。でも実際に甲子園でやってみて、普段からの準備などをしっかりやれば、戦えるとは感じた」

「まぁ、ずいぶん昔のことだからね。でも浜山でかなり打った記憶はある。そういう意味では、僕にとっては大事な球場かもしれないですね」

 谷繁氏はこう話す。その後も、浜田高が和田毅(ソフトバンク)がエースだった98年、東東京代表の名門・帝京高を破りベスト8入りした。04年には江の川高がなんとベスト4、そして09年に立正大淞南高がベスト8入りを果たしている。

 島根県大会で主として使用されるのは2球場。県庁所在地である松江市の市営野球場と出雲大社のお膝元にある県立浜山公園野球場だ。

 松江は78年開場で約1万5000人収容、両翼92m、中堅120m。浜山は74年開場で約1万2000人収容、両翼91m、中堅120m。少し小さめではあるが地方球場としては十分な広さ。70、80年代にはプロ野球公式戦やオープン戦が両球場でも定期的に開催された。ちなみに松江では03年にモーニング娘。のコンサートも行われた。

 現在はかなり老巧化しており、改修存続、建て替え、新球場建設などが話題に上がるほど。実際、浜山は18年秋からの大幅改修が発表された。しかし毎年、神宮やハマスタなどプロの常打ち球場を使用する都市部の予選とは異なる、なんとも言えない「味」を生み出している。

数多く大事な試合を経験してきた松江

 松江市にある開星高。甲子園常連校でもあり、プロ選手も輩出してきた。その開星高OBがベイスターズの梶谷隆幸と白根尚貴だ。

 プロ入りは内野手も外野に転向。強打、攻守、俊足と3拍子揃い、チームに欠かせない中心選手となった梶谷。地元で生まれ育った、生粋の松江っ子は3年夏に甲子園出場を果たしている。

「少年野球の頃から松江ではいつもやっていました。でも松江も浜山も今でもしっかりと覚えています。もちろん施設面などでは今やっているプロの球場、ハマスタとかとは比べ物にはならないけど、やっぱり原点。プロ入りできたのも島根で結果を出したというのもあると思うしね」

 高校入学時からチームの中心。当時は持ち前の足を活かしてセーフティバントも多かった。しかし当時から、しっかり振る、ということを意識していたという。

「高校時代は金属バットだったというものあるけど、島根大会では長打を打った印象もある。木製と違って、金属は当たった瞬間に手首を返すだけで飛んでいく。だから打ち損じたと感じても、フェンスを越えたり、外野の間を抜けたこともあったかな。でもそれで良し、とするんではなく、できるだけ強い打球を打つことを心掛けていた」

「やっぱり聖地という意味では松江なんじゃないかな。浜山でも試合をしてはいるけど、やっぱり試合数は松江の方が多かった。それに甲子園出場などの大事な試合は松江でしたからね。今もそうなんじゃないでしょうかね」

 やはり梶谷は地元意識が強いのだろうか。慣れ親しんだ松江の球場を島根の聖地と感じている。

打者は浜山、投手は松江で活躍した二刀流・白根

 高校時代、その体型(当時は100キロ以上体重があった)からついた名前は「島根のジャイアン」。「4番・投手」として2年春夏、3年夏に甲子園出場。3年夏の予選では3本塁打、甲子園でも山口・柳井学園相手に3安打完封勝利を挙げた。

「浜山は打撃、松江は投手での印象が強い。大谷(翔平)君ではないですけど、僕も投手としてのプロ入りを目指していた。だから高校時代はどちらかといえば投手の練習が主だった。その中で松江では結構、しっかり抑えた印象が残っている。逆に浜山は長打、本塁打を打った印象。まぁ、どちらも球場は広くなかったので、金属バットならしっかりとらえればフェンスを越えた。松江と浜山を比べると、浜山の方が良い場面でも打った印象が残っている」

 当時は二刀流選手としてチームの中心だった白根。松江と浜山に異なった印象を持っているのが面白い。しかし聖地はやはり松江だという。

「学校が松江にあったのもあるけど、島根の聖地はやはり松江だと思う。浜山って僕がやっていた頃は更衣室もなかったですからね。試合直前まで球場外の駐車場で待機していた。そういう意味では松江の方が施設はしっかりしていた」

 地元ローカル放送の山陰放送で20年以上、高校野球の実況をおこなっている山根伸志さん。取材者の立場から見続けている松江と浜山の違いについて語ってくれた。

「山陰放送は島根、鳥取両大会の準決勝以降は中継しています。タイミングによってラジオ、テレビのどちらかをやっています。個人的には、情景描写など、細かい部分を短時間で伝えないといけないラジオが好きですね。テレビも同じですがしゃべりすぎてもいけない、でもしっかり取材したことなど伝えたい。緊張感があります」

「施設でいうとやはり松江の方が充実している。土に関しては、松江の方が雨に強いという印象ですね。でも浜山も好きです。緑の中の浜山はレフト方向へいつも風が吹いていて、それが影響する時もある。またフィールドが近く、構造上、応援席がベンチ真上にある。臨場感では浜山ですね」

「僕の夢は甲子園で山陰のチームが強豪校とやる試合を生実況すること。甲子園には我々、地方の放送局でも使用できる放送ブースがある。でも使用料もかかるのでコストがかかるリスクは避けなければならない。強豪校相手に互角に戦えるくらい、注目されればそれも可能になる。いつかやってみたい夢ですね」

 また、最後に白根は「全国に出てレベルの差はそこまで感じなかった。でも試合慣れしているとは思った。島根は出場校も少なく、5回勝てば甲子園出場ですからね。試合を多くやっているチームの経験値みたいなのは感じました。でもやれないことはない。プロ選手も多く出しているし、島根のチームだってやれる」と島根の後輩たちに向かって語りかけてくれた。

 はじまりと終わりの場所。歓喜と無情が同居する場所でもある。勝ち進んだ選手たちにはスタートライン。そしてそれ以外にはフィニッシュライン。島根県にとっての松江や浜山のような球場は、どの県にも同じように存在する。しかし、そこで見上げた同じ空は甲子園につながっている。

 夏100回目、そして平成最後の夏。まもなく始まる甲子園ではどのような戦いが見られるのか。参加する誰もが、ゲームセットのその瞬間まで「All or Nothing」。怖いもの知らずに、最後まで周りを気にせず可能性を追い求めてほしい。多くの野球人にとって、またこの熱い季節がやってくる。(山岡則夫 / Norio Yamaoka)

山岡則夫 プロフィール
 1972年島根県出身。千葉大学卒業後、アパレル会社勤務などを経て01年にInnings,Co.を設立、雑誌Ballpark Time!を発刊。現在はBallparkレーベルとして様々な書籍、雑誌を企画、製作するほか、多くの雑誌やホームページに寄稿している。最新刊は「岩隈久志のピッチングバイブル」、「躍進する広島カープを支える選手たち」(株式会社舵社)。Ballpark Time!オフィシャルページにて取材日記を定期的に更新中。

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