メクル第296号 NBC「げなパネ!」出演中 お笑いコンビ、トータルテンボス 失敗こそ成功の近道

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 今回は、NBC長崎放送のローカル情報(じょうほう)バラエティー番組「げなパネ!」(水曜午後7時)に出演(しゅつえん)中の人気お笑いコンビ、トータルテンボスの藤田憲右(ふじたけんすけ)さん(42)と大村朋宏(おおむらともひろ)さん(43)です。「ハンパねぇ」などのネタでおなじみですね。静岡(しずおか)県出身の幼(おさな)なじみという2人に、子ども時代の話や芸人になったきっかけを聞きました。

「げなパネ!」の収録で、メクル編集室の取材を受ける藤田さん(左)=長崎市茂里町、長崎新聞社

 -どんな小中学生でしたか?

 藤田「手を焼かせる子。お調子者。それが今、生かされているのかな」
 大村「シャンプーの代わりにケチャップを入れたり、風呂(ふろ)のお湯を冷水にしたりといたずらっ子。そういうアイデアは昔からあったんだなぁ」

 -芸人になろうと思ったきっかけは?

 藤田「人を笑わせるのが得意でした。幼なじみの大村にさそわれた時、『向いてるかな』と即決(そっけつ)しました」
 大村「大学で単位が取れず、2度留年(りゅうねん)した。企業(きぎょう)に就職(しゅうしょく)するのは無理だと思い、『お笑いも(選択肢(せんたくし)の)一つかな』と考えるようになりました」

 -芸人になってみて。

 藤田「自分たちが面白いと思うことを表現(ひょうげん)するのはむずかしかったです。活動20年をへて、“間(ま)”を操(あやつ)れるようになったかな。ようやく余裕(よゆう)が出てきました」
 大村「簡単(かんたん)な世界ではありませんでした。でも、ネタですべることもウケることも、なかなかできない経験(けいけん)。職業(しょくぎょう)として面白いです」

 -大変なこともあったと思いますが、どう乗りこえましたか?

 大村「最初はコントから始めました。結成から数年後、解散(かいさん)の危機(きき)に直面しました。いつ売れるかと焦(あせ)っていて。『やめさせてくれ』と藤田に言うと、『やだよ』と。(所属事務所(しょぞくじむしょ)の)社員にも『あと1年だけがんばってみよう』と止められて。話術(わじゅつ)と内容(ないよう)で勝負する漫才(まんざい)に挑戦(ちょうせん)してみたら、初めてのM-1グランプリで3回戦まで進めたんです。キャラを演(えん)じるコントよりも、素(す)の自分で笑いを取れるところが気持ちよかったです」

 -ここまで続いた秘訣(ひけつ)を教えて。

 藤田「最初は友だちの延長(えんちょう)だったけど、今はおたがいにプロ意識(いしき)が芽生えて衝突(しょうとつ)もありますね。たまったら言い合います」

 -ロケで訪(おとず)れる長崎の印象は?

 藤田「ここに生まれたかったと思うくらいすてきな場所。歴史的なまちで、ここで高校生活を送ってたら、またちがっただろうなぁ。今は、ここで子育てをしてみたいな、と思います」

 -それぞれ大切にしている言葉はありますか?

 藤田「『何事にも焦らない』。(芸能界(げいのうかい)は)活躍(かつやく)の有無が分かりやすい世界。最初は他の芸人と比(くら)べられて焦っていたけど、今ふり返ると視野(しや)がせまかったなと思う。みんなもいろんなことに興味(きょうみ)を持ってほしい。『マイペースでいいじゃん』と伝えたい」
 大村「『失敗こそ成功の近道』。何度も失敗して成長していく。リスクをおかさないことが最大のリスクだと思う。売れることが第一目的ではなく、藤田や自分にとって大切な人たちと幸せになっていきたい」

トータルテンボスの大村さん(左)と藤田さんがメクル読者のためにメッセージを書いてくれました=長崎市内

 ※新聞社での取材の様子などは、8月15日午後7時からのNBC長崎放送「げなパネ!」で放送予定です。

 【略歴】トータルテンボス よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属(しょぞく)。藤田さんは1975年12月30日、大村さんは同4月3日生まれ。静岡(しずおか)県御殿場(ごてんば)市出身。2人とも吉本興業(よしもとこうぎょう)のNSC東京校の3期生で、1997年4月にコンビを結成した。2007年のM-1グランプリで準優勝(じゅんゆうしょう)。今年9月から、全国漫才(まんざい)ツアー2018「いきなりミックスベジタブル」で全国20会場を回る。