64年東京五輪で誓った愛、今も  選手村で挙式のブルガリア元代表夫妻

 1964年の東京五輪で、開催期間中に選手村で結婚式を挙げたブルガリア代表選手のカップルがいる。ニコライ・プロダノフさん(78)、ディアナさん(75)=旧姓ヨルゴワ。日本で「永遠の愛」を誓った2人は今も首都ソフィアで幸せに暮らしている。2020年東京五輪パラリンピックまで残り2年。半世紀以上を経て、思い出の地、東京で再び開かれる五輪を2人は心待ちにしている。

 ▽第二の故郷

 

1964年の東京五輪期間中に挙げた結婚式のアルバムを手にするニコライ・プロダノフさん(左)とディアナさん=4月、ブルガリア・ソフィア(共同)

 「まあ!」「俺もハンサムだったじゃないか!」。今年4月、ソフィアの自宅マンションを訪ね、手土産として持参した当時の結婚式の写真を渡すと、夫妻は感極まったように見つめ合い、肩を寄せ、手を握り合った。思い出が鮮やかによみがえった様子だった。

 64年10月23日、東京・代々木の選手村。神前で執り行われた式の祭壇の後ろには五輪マークがあしらわれた。24歳だったモーニング姿の新郎は体操選手、ウェディングドレスを着た21歳の新婦は陸上選手。神主の祝詞に三三九度を交わした。

 2人の出会いは五輪の4年前。ソフィアの練習場で顔を合わせるうちに、言葉を交わすようになり、婚約。2人は当初、翌年5月のニコライさんの誕生日に結婚式を予定していた。60年のローマ五輪出場経験があったニコライさんと異なり、五輪初出場だったディアナさんに競技に集中してもらうためだ。

 だが、当時、東京のブルガリア大使館員で式の準備に奔走したトドル・ディチェフ元駐日大使によると、ニコライさんは早くから東京での結婚式の希望をディチェフ氏に打ち明けており、最終的に東京五輪組織委員会などの計らいで、大会期間中に急きょ式を挙げることになった。

 選手村で結婚式を挙げた五輪史上初のカップルはメディアをにぎわせ、大きな話題になった。たった1日の新婚旅行で京都にも出かけた。駅で見知らぬ子供が「おめでとう」と声を掛けてくれたことをディアナさんは今も忘れない。「日本の人々はとてもよくしてくれた。日本は私にとって第二の故郷です」

 ▽お宝写真

  取材のきっかけは昨年11月だった。世界の古い写真を保管しているロンドンの倉庫で、「ニュースになりそうな“お宝写真”はないだろうか」と許可を得て保管されている写真の束をめくっていると、何枚かの白黒写真が目に留まった。

東京・代々木の選手村で結婚式を挙げたニコライ・プロダノフさん(左)、ディアナさん夫妻=1964年10月23日

 1964年の東京五輪で、ブルガリア代表選手同士が選手村で結婚式を挙げた写真だった。「この2人は今どうしているんだろう」という思いが頭をよぎった。ちょうど2020年には東京五輪がある。興味に駆られ取材を始めた。

 手を尽くして夫妻の所在を調べた。54年前のことであり、2人が元気でいるかどうか定かでない。別々の人生を歩んでいるかどうかも心配した。結婚式の写真は共同通信にも残っていることも分かった。

 ブルガリアのスポーツ関係者に当たる中で、幸運なことに2人は首都ソフィアで仲良く暮らしていることが判明した。電話をかけると、ディアナさんは日本メディアによる突然のインタビューの申し込みに驚いた様子だった。

 今年4月下旬、当時の写真をプリントし、額に入れてお土産として自宅を訪れると夫妻は大歓迎してくれた。

 夫妻が当時の思い出を大切にしていたことにも胸を打たれた。日本でもらった人形などのお祝いの品々、2人の記事が載った女性誌なども見せてくれた。

 ニコライさんは「五輪期間中に結婚式を挙げたのは17組いるが、16組は離婚した。別れてないのは俺たちだけだよ」と笑った。それが本当なのかは検証しようもないが、確かなことは「東京五輪で誓った愛」が健在だったことだ。

 ▽交流の歴史

  ニコライさんとディアナさんの結婚式は日本とブルガリアの交流を巡る歴史の一こまとしても刻まれている。

 「日本でブルガリアという国を知らない人も多かった中、結婚式は両国の友好に一役買った」。ディチェフ元大使は振り返る。

 39年に始まった日本とブルガリアの外交関係は第2次大戦で中断した。東京五輪当時は外交関係が再開して5年後で、社会主義国だったブルガリアは敗戦から経済復興した日本を参考にしようと熱い視線を向けていたようだ。

 2020年東京五輪に向け、山形県村山市がブルガリア新体操チームの事前キャンプを受け入れており、五輪を機に両国には新たなつながりも生まれている。

 両国は来年、交流開始から110年、外交関係樹立から80年、外交関係再開から60年を迎える。渡辺正人駐ブルガリア大使は「2人の話を聞き、ここにも友好の歴史の糸を紡いだ人々の足跡があったと感慨を覚えた」と話した。
 

▽魔法のような雰囲気

 ニコライさんはその後、ブルガリアの体操協会会長、オリンピック委員会副委員長などの要職を歴任し、今も民間のスポーツクラブ代表を務める。東京五輪の走り幅跳びで6位に入賞したディアナさんは長女を出産後、72年ミュンヘン五輪で銀メダルを獲得した後、引退した。夫妻は2人の娘、そして4人の孫たちに恵まれた。

 2年後の東京五輪はテレビ観戦するという夫妻。「五輪には信じられない魔法のような雰囲気がある。ブルガリアの選手にぜひメダルを取ってほしい」。ディアナさんは目を輝かせた。 (共同通信=島崎淳)

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