日韓の高校生足跡たどる 長崎県が「新・朝鮮通信使事業」

 朝鮮王朝が日本に派遣した外交使節「朝鮮通信使」の意義を若い世代に継承しようと、日韓の高校生を対馬市に招く長崎県の「新・朝鮮通信使事業」が初めて実施されている。5日は、国内各地の高校生がそれぞれの地元に残る朝鮮通信使の足跡について発表し、韓国の高校生らと交流した。同日は対馬厳原港まつりのメインイベントとして、朝鮮通信使行列(同行列振興会主催)が厳原町で華やかに繰り広げられた。

 朝鮮通信使行列に合わせて日程が組まれた同事業では、韓国・釜山市立釜山白楊(ペグヤン)高から21人が来日。国内からは長崎県(上対馬、対馬、壱岐、長崎東の各県立高)はじめ、佐賀、福岡、山口、広島、滋賀各県から計11校28人が参加した。

 同日は長崎県対馬振興局で発表会を開き、通信使ゆかりの地がある福岡、山口、広島、滋賀の計5校が登壇。通信使が滞在した上関(かみのせき)が校区内にある山口県立柳井高の2人は地元に残る古文書について調べたことを発表し、通信使をもてなすため、岩国藩がキムチを作って振る舞っていたことを報告。3年の友田陽七虹(ひなこ)さん(18)は「通信使が好みそうな食べ物を研究しており、おもてなしの心が読み取れた。日本と朝鮮の関係が極めて友好的だったと分かった」と話した。

 一方、朝鮮通信使行列では、日韓の約300人が朝鮮の民族衣装や武家装束で対馬藩宗(そう)家の城下町を練り歩き、釜山市のペギンセ舞踊団や宮廷音楽の演奏をする高校生吹打隊も参加した。地域住民らが扮(ふん)する対馬藩士らが朝鮮の正使役らを先導。華やかな朝鮮伝統舞踊、宮中音楽が沿道を彩り、互いに欺かず、争わず、真実をもって交わるという「誠信交隣」の理念をアピールした。高校生吹打隊員で、県の事業にも参加している安恩珍(アンウンジン)さん(16)は「韓国と日本の大きな歴史イベントの中で演奏でき、とても意義深かった」と話した。

 朝鮮通信使は、朝鮮王朝が徳川将軍家に派遣した外交使節団。豊臣秀吉の朝鮮出兵で断絶した日朝関係を対馬藩が橋渡し役となって再構築し、江戸時代に12回訪れた。県の事業は4日に始まり、最終日の6日は日韓の高校生が対馬市内の通信使ゆかりの地を巡る。

朝鮮通信使行列で、沿道に向かって手を振る正使役の韓国人男性=対馬市
地元の朝鮮通信使の歴史について発表する柳井高の生徒=県対馬振興局

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