「長い道のりを娘とともに」難病完治へ父動く

「レット症候群」という病気を知っていますか。1966年に初めて報告されたこの病気は、1万人〜1.5万人に一人の確率で、生後6カ月から1年半の間に、女の子のみに発症する進行性の神経疾患です。娘がレット症候群と診断された父親が、治療法確立に向けて、団体を立ち上げました。(JAMMIN=山本 めぐみ)

■生後間もない娘の不調

大阪府に住む谷岡哲次(たにおか・てつじ)さん(41)は、2児の父親です。娘の紗帆(さほ)ちゃん(10)は、生後半年頃から徐々に体に不調が現れ始めたといいます。

谷岡さんと、娘の紗帆ちゃん。「癒しのスマイルには疲れも吹っ飛びます」と谷岡さん(撮影:東真子)

「紗帆はハイハイをするようになった後、なかなかつかまり立ちをしなかった。訓練をすれば大丈夫だろうと考えていたが、やがて本人が動きたくないような素振りを見せるようになり、気がつくとハイハイもしなくなり、一人で座っていてもゴロンとこけるようになっていた」と当時を振り返ります。

「病院へ行って検査を受けたが、結果は異常なし。リハビリや訓練次第では発達の過程で徐々によくなると言われていたが、どれだけ訓練しても、逆にできていたことができなくなっていった」

「手を口元に持っていったり、ギリギリと歯ぎしりをしたりするようになり、インターネットで調べるうちに、書いてある症状が娘の症状と全く同じだったことから、『娘はレット症候群ではないか』と思うようになった」

■原因・治療法は未確立、女の子のみに発症する難病

谷岡さんによると、「レット症候群」の発症率は非常に低く、厚生労働省の調査によると、現在日本でこの病気を抱えている20歳までの若者は推定で1,020人。1万人の女児に0.9人の有病率(平成27年の報告)といわれています。

「レット症候群は、生後半年ほどはすくすくと元気に育つものの、徐々に知能や言語、運動に遅れなどの症状が現れる進行性の神経疾患。原因は明らかになっておらず、治療法も確立されていない」と谷岡さん。

この難病の大きな特徴として「女の子のみに発症する」ということが挙げられるといいます。

「正確にいえば男の子にも起こるが、男性と女性の染色体の違いも関係し、世界的にみても男の子の症例は非常に少ない」

レット症候群のその他の特徴として、てんかんや脊柱が曲がる側弯症(そくわんしょう)、本人の意思と関係なく息をとめてしまう息こらえなどの障がいの併発や、自分の意思とは関係なく常に両手を合わせる・口元に手を持っていくといった行動を繰り返す、意思とは関係なく息をこらえてしまうといった症状があるといいます。

■病名が判明するまでの長い道のり

患者の少ない珍しい難病。診断できる病院は少なく、当時、遺伝子検査を受けても、紗帆ちゃんの病名が判明することはでありませんでした。

「遺伝子検査を受け、半年ほど待ってやっと結果が出たが異常なしだった。それでも彼女の症状が良くなることはなく、調べれば調べるほど『レット症候群に間違いない』と思うようになった」と振り返る谷岡さん。

紗帆ちゃんが2歳になる頃、レット症候群を専門的に研究している先生を九州に見つけ、大阪から出向いて診察を受けたといいます。

「診察開始早々に『可愛いね。レット症候群の子どもは、可愛い子が多いんだよ』と先生がおっしゃったので『ああ、やっぱりそうだったんだ』と…」

「そこにたどり着くまでは『なんとかして娘の症状を治してやりたい』と鍼治療を受けたりあやしげな療法にも手を出したり、住んでいる大阪から東京にも半年ほど治療のために通ったり…、できる限りのことをしてきたが、娘の症状が良くなることはなかった」

「病名がわからず苦しい時期を過ごしたが、やっと病名が判明したことで、気持ちとしては少し楽になったのと、『治療法はないのか』という問いに対して、先生から『世界中で研究しているが、今はない。今の医療では治せる術はない』とハッキリ言われたことで、逆にすっきりして、前向きになれたところもあった」

■「笑顔だけは絶やさず、長い道のりを娘と共に乗り越えたい」

紗帆ちゃんが診断を受けた帰りの新幹線の中で、レット症候群を支援するNPO団体の立ち上げを決意したという谷岡さん。

「今はもっと多くの情報があるが、娘が診断された当時、レット症候群について調べると『不治の病』という暗い情報しかなかった。『なんで自分の娘がそんな風になってしまったんだろう』と思ったし、『自分の日頃の行いが悪かったのか』とも思ったこともあった。病名が判明するまでは治療のために各地に足を運んだものの、気持ちがついていかず妻と喧嘩になったこともあった」

「帰りの新幹線の中で、NPOを立ち上げるという構想はすでにあった。と同時に、『今やらずにこれを半年先に延ばしたら、ずっとやらないだろうな』という思いもあり、帰ってきた翌日には、NPO立ち上げに向けて動きだした。勢いしかなかった」

一体何が、そこまで谷岡さんを駆り立てたのか──。そんな問いに、谷岡さんは次のように答えてくれました。

「『紗帆の立場だったら、どうだろう?』と思ったこと。それまで当たり前のようにできていたことができなくなってしまった時、もし彼女がしゃべることができたら『パパ、助けて』『ママ、助けて』と言ったのではないか。彼女に代わってあげられないのだとしたら、じゃあ一体自分になにができるのか。治療法を見つけてあげることのお手伝いくらいはできるのではないかと思った」

「そして同じようにレット症候群で悩んでいる人たちに、未来は真っ暗ではないということ、可能性があるんだということを、発信したいと思った」

「レット症候群の子どもの多くは、言葉を話すことができない。その代わりに、彼女たちは表情がとても豊か。感受性も豊かで、喜怒哀楽をしっかり表現してくれる。この素晴らしい笑顔だけは、絶やさないように、なくさないようにしてあげたい。そしてできたら、ちゃんと歩けるようにしてあげたい。声を聞いてみたい。父親として、そう思う」

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