【特集】浅田真央さん「自分探し」の今

「新たな挑戦」

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自身が総合演出を手掛けるアイスショーについて記者会見する浅田真央さん(左)=2018年3月、ソチ五輪・女子フリーで気迫のこもった演技をする浅田真央さん(右)=2014年2月

 フィギュアスケート女子の浅田真央さんが現役に別れを告げて引退会見をしたのは2017年4月12日だった。「私のフィギュアスケート人生に悔いはありません」。ステージでさわやかな笑顔を振りまきながら、時折報道陣に背を向け涙をぬぐう姿がとても印象的だった。浅田さんは今年5月からスタートした「浅田真央サンクスツアー」で全国を巡り、自身で総合演出するアイスショーに力を注いでいる。9月の埼玉公演を控え、8月7日に姉の浅田舞さんとともに埼玉アイスアリーナで子どもを対象にした「スケート教室」を開いた。ちびっ子たちへのレッスンを終えた浅田姉妹に「今」の心境を聞いた。(共同通信=柴田友明)

引退の記者会見でさまざまな表情を見せた浅田真央さん=2017年4月12日、都内のホテルで

 浅田姉妹が見た、みどりさんのすごい!ジャンプ

 ―スケート教室を通じて、子どもたちと接しているうちに自身のスケート人生を振り返り何か再発見することはなかったですか。

(真央さん)初めて滑る子もいますので、そんな子どもたちが成長していくのを見て懐かしいなーと思って教室をさせてもらっています。

(舞さん)私たちが(子どもの時に)愛知県で練習をしている時に、たまに伊藤みどりさんがスケートリンクに来てくれるのですよ。その時に気付いたことを教えてもらったり目の前で(みどりさんが)ジャンプの練習をしているのを子どもながらすごく覚えています。こういう教室で子どもたちに指導する機会がある時は、みんなにいい思い出として残ってくれるようにと心掛けてやっています。

 ―真央さんにとってはスケートを一度離れて、また見直す。(真央さん自身)「自分探し」してきたことも語っています。現役の時に子どもと接する時と(指導者として)今こういう教室で子どもと接する時と何か違いがありますか。

(真央さん)特に違いはないですね。舞も先ほど言ったんですけれど、あの私たちが小さいときは伊藤みどりさんが(間近で)滑ってくれて、アドバイスをいただいて私自身も「みどりさんのようになりたい」とずっと思って頑張ってきました。子どもたちに、そういう夢やパワーを届けたらいいなと思っています。

 筆者の質問にそう答えた。その後、浅田さん姉妹は初めてスケート靴をはいたころの思い出としてスキーウエア、ひじ当て、ひざ当て、ヘルメットを着用していたこと。最初はフェンスにつかまって、段々と滑れるようになっていたこと、そのスケートリンクは今なくなってしまって残念と、懐かしそうに話し始めた。

記者の取材対応をする浅田真央さん(右)と姉の浅田舞さん(左)=2018年8月7日、埼玉アイスアリーナ

 

 「すごく苦しかった」

 真央さんは17年4月10日、「突然ですが、フィギュアスケート選手として終える決断を致しました」と自身のブログに書き込んだ。16年12月の全日本選手権で成績が振るわず、来季への現役続投を問われて「そうですね、はい」と答えていただけに、葛藤の中での決断だった。この後の心境はテレビなどで語っている。婦人公論(中央公論新社、8月10日号)で引退後のアイスショーでスケート靴を脱ぐつもりだったとした上で「その先のビジョンは何もありませんでした。ふらっと一人旅をしてみたり、(中略)―〝遅れてきた自分探し〟のような時間は、正直、すごく苦しかったです」と心境を吐露している。それでも、自分は何をしたいのか考えるうちに、5歳から続けてきたスケートしかない、と気付いた、私にとっては新たな挑戦ですと同誌に語っている。

 真央さんたちが伊藤みどりさんにあこがれて、懸命に頑張っているうちにトップスケーター、世界女王となった。その後、国内外の後輩たちが真央さんを目指して、ハイレベルな競い合いになっている。真央さんのスケートに対する思い、その発信力にははっとさせられる。

 フィギュアスケート界では7月、バンクーバー五輪銅メダリストの高橋大輔さんが現役を復帰を表明。一方で、ソチ五輪銅メダリストのデニス・テンさん(カザフスタン)が強盗に襲われて亡くなるという悲報もあった。真央さんはSNSで「大切な仲間の命が奪われたなんて、つらいです。悲しいです。とても優しく、面白くて、いつも一生懸命な人でした」と思いをつづっている。 

埼玉アイスアリーナで子どもを指導する浅田真央さん=2018年8月7日
引退会見終了のあいさつで報道陣に背を向け、涙をぬぐう浅田真央さん=2017年4月12日、都内のホテルで

 浅田真央さんの略歴

 小学校5年で全種類の3回転、6年でトリプルアクセル(3回転半)が跳べるようになったジャンプの天才。15歳だった05年GPファイナルで衝撃の初出場優勝。06年トリノ冬季五輪には年齢制限で出場できなかったが、10年バンクーバー五輪で銀メダル。14年ソチ五輪は6位。世界選手権は08年、10年、14年に優勝。全日本選手権は6度優勝。1年間の休養を経て15年5月に現役続行を表明。一昨年の全日本選手権は12位だった。27歳。愛知県出身。