「被爆電車」惨禍伝える 広島電鉄650形 無言の証人今も現役

早朝、広島港の電停に到着した被爆電車「652号」=広島市

 原爆の惨禍をくぐり抜けた広島電鉄(広電・広島市)の路面電車「被爆電車」。あの日から73年たった今、街の景色は変わっても、変わらぬ「市民の足」として走り続けている。

 早朝、通勤客らが行き交う広島港の電停を、ひときわレトロな「652号」が出発した。丸みを帯びた車体が、ゴトゴトと揺れながら市街地を走る。60代の男性客は「広島にしかない電車。誇らしいね」と笑った。

 1945年8月6日、広島は原爆で焦土と化した。広電も壊滅的な被害を受け、従業員1241人のうち185人が死亡し、266人が負傷。電車も123両のうち108両が被災した。

 広電は被爆のわずか3日後、一部区間ながら運行を再開。650形も順次復帰し、焼け野原になった街の復興を見守ってきた。この中で650形の車両のみが現在も使われ、「被爆電車」と呼ばれている。

 650形は42年に5両が製造され、651~655号の車番が付いた。現存するのは4両で、うち651、652号の2両が現役。ほかの電車より速度が遅く、乗客が多い平日朝のみの運行だ。

 被爆電車は、その歴史から「平和の象徴」とも呼ばれる。第一線を退いた653、654号も役割を果たしている。653号は2015年から、特別列車として8月6日前後に日時と区間を限って運行。654号は、広島市内のミュージアムに展示されている。いずれも被爆当時と同じ青色と灰色に塗装され、「無言の証人」として原爆の惨禍を伝える。

 戦前、出征のため少なくなった男性従業員に代わり、女性運転士を務めた中村モリノさん(90)=呉市=の思いも同じだ。「原爆のつらさは、何年たっても忘れることはない。生き残った被爆電車も、頑張って走り続けてほしい」

 被爆電車の傷んだ車体はプレートを替えて幾度も塗り直し、台車も部品を交換するなど補修を重ねてきた。「アナログな分、整備しやすく、手を加えればいつまでも使える」と検車係長の清水池和彦さん(57)。「今でも市民にとって、なくてはならない生活の足。故障は許されない」。先人たちが手掛けてきた車体を大事そうになでた。(臼杵大介)

(2018年8月8日付 熊本日日新聞朝刊掲載)

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