元陸軍少尉の「戦中日記」脚光 ビルマでの生々しい体験記述

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小林さんがビルマで毎日書き続けた日記(守山市三宅町・市民ホール)

 第2次世界大戦の激戦地・ビルマ(現ミャンマー)で元陸軍少尉の小林育三郎さん(享年87)=滋賀県守山市=がつづった「戦中日記」。今夏、日記を題材にした二つの企画が開かれる。東京で18日に上演される一人芝居と、守山市民ホールで3日に始まった日記の展示。それぞれの企画者が小林さんに焦点をあてたのは偶然だが、ともに「生々しい体験を通じ、平和の尊さを訴えたい」と語る。

 小林さんは1919年生まれ。日記はビルマへ向かうため日本を出航した44年3月27日から始まる。歩兵として最前線で戦ったが、戦況は悪化を続け、退却を繰り返す中で数多くの仲間を亡くした。終戦を知ったのは45年8月20日。捕虜生活が始まる直前の同28日まで日記は続いた。復員後、日記は長らく机の中にしまっていたが、81年に「ビルマ戦場日記」として出版した。

 東京都新宿区の平和祈念展示資料館で一人芝居を演じるのはイベント会社社長の村田浩一さん(61)。戦争の語り部や同館と関わる中で、自らも訴えたいと企画した。多くの戦中手記を読んだ中で、小林さんのものが最も印象に残ったという。

 日記や手記によると44年6月、小林さんの隣に伏せていた兵士が太ももを機銃弾で撃たれた。「おっかあ」と声を振り絞り、小林さんの膝で息絶えたという。45年3月27日には仲間9人を一度に失った。戦死者名簿を見ると先頭の1人は「メークテーラー飛行場で頭部貫通銃創、戦死」と書かれていた。しかし、他8人は全員「右に同じ」。村田さんは「命がいかに粗末にされていたか」と改めて感じたという。

 小林さんの遺品が寄贈された東近江市の県平和祈念館にも足を運び、ボロボロの日記帳を目にした。村田さんは「人間としてのあり方を狂わせる戦争は無益。それを伝えたい」と語る。

 日記帳を展示するのは守山市遺族会。県平和祈念館から借りた遺品約30点も並べた。元中学教員の山川芳志郞会長(78)は、小林さんに学校で何度も戦争体験を語ってもらったと振り返る。

 日記は、没収されないよう必死に隠して日本に持ち帰ったと聞いた。山川さんは「守山に大変な経験をされた方がいたことを知ってほしい」と語る。

 10日まで。無料。終戦翌日の新聞や戦前戦後の照明や暖房器具も展示している。