【熊本城のいま】宇土櫓 古城時代の天守!?

1927年に解体される前の宇土櫓(熊本城総合事務所提供)
熊本地震で倒壊を免れた宇土櫓を眺める観光客ら=6日、熊本市中央区

 「夏休みに入り、参拝される方が増えた。外国人はもちろん、帰省して復旧中の熊本城を見たい方もおられるでしょう」。城域にある加藤神社の湯田崇弘宮司(46)は、工事が進む天守閣や倒壊を免れた宇土櫓[やぐら]に向かってカメラやスマートフォンを構える人々の姿を日々見守る。

 熊本地震の後、湯田宮司の元には県内外から「宇土櫓は大丈夫か」と多くの問い合わせがあったという。中には「宇土櫓が倒壊した」というデマに驚いて連絡してきた人も。「みなさん宇土櫓が本当に好きで、心配していました」

 熊本市の熊本城調査研究センターによると、国重要文化財で木造5階の宇土櫓は熊本地震で南側の続櫓[つづきやぐら]が倒壊したが、本体部分は内外の壁のしっくいが落ちたりしたものの倒れることはなかった。市は部材の損傷など被害の調査を進めており、2023~27年度の復旧を目指す。

 センターによると、宇土櫓は古文書の記述や建築の様式から、慶長年間(1596~1615年)の創建。1877(明治10)年の西南戦争や89年の地震を乗り越え、1927(昭和2)年に熊本城阯[じょうし]保存会(現・熊本城顕彰会)が大規模な解体修理を行った。この時に鉄骨製の筋交いを入れており、これが熊本地震の揺れから櫓を守った要因のひとつとされる。

 宇土櫓には最上階の屋根にしゃちほこ、立派な手すりを意味する「高欄」、一周できる縁側を示す「廻[まわり]縁」の三つが備わっている。センターの鶴嶋俊彦さん(63)は「この3点セットは初期の『望楼形天守』の特徴」という。

 研究者の中には「宇土櫓は、古城[ふるしろ]時代の天守だったのではないか」との推測もある。古城とは加藤清正が熊本城を造る以前、現在の第一高がある辺りに築城した城のこと。鶴嶋さんによると加藤清正関係の文書から、古城には大天守と3階建ての小天守があった。鶴嶋さんは「これらの天守を破棄することは考えられず、現在の熊本城へ(解体するなどして)持っていったのでは。現在の宇土櫓の可能性は高い」とにらんでいる。(飛松佐和子)

(2018年8月10日付 熊本日日新聞朝刊掲載)

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