現実味は、本気度は

 味は極上で、職人技の利いたケーキを「究極のモンブラン」などと称することがある。「極め付きの」「最終形の」と強調するときに言う「究極」だが、これをかつてよく用いたのが日本政府だった▲究極的には核兵器廃絶を目指す。常々そう繰り返した。「究極的には」、つまり「最終的に行き着くとすれば」という言葉に被爆地は反発した。核廃絶は当面は無理な話で、実現するとしても遠い遠い先のこと-そんな含みがある、と。その反発などがあって、十数年前から「究極的」の文言はあまり聞かれなくなった▲核廃絶に主導的な役割を果たすと被爆国の政府は明言してきたが、その割にどうだろう。懐手に見えるばかりか、核廃絶とは遠方にあって現実味に乏しいものだと、遠回しながら言ってきた▲その頃と変わっていないのが分かる。安倍晋三首相は長崎の平和祈念式典のあいさつで、核廃絶への切り札のはずの核兵器禁止条約に一言も触れなかった▲式典後の会見で、条約は「安全保障の現実を踏まえずに作られた」と説明した。現実味の疑われる条約だ。そう言いたいらしい▲日本は核保有国と非保有国の橋渡し役を果たすというが、何をどうするのか。米国の顔色をうかがわずにいられるか。現実味や本気度が疑われるのは、一体どなたの言動だろう。(徹)

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