上海を出発し、ユーラシア大陸を横断してポルトガルのロカ岬に到着した吉田正仁(よしだ・まさひと)さん(37)。今度は首都リスボンから空路で米東部フィラデルフィアに渡り、北米大陸横断を始めた。
テントに熊が
2011年6月27日、カナダの人里離れた森の中。テントで寝ていると突然、外で「ガサガサ」と大型動物が動くような音が聞こえ、テントが数回押しつぶされた。
「熊だ」。薄いテントの布を破られて襲われたら死ぬかもしれないと思った。熊はソーセージの匂いを嗅ぎつけてテントに来たとみられ、隙をついてソーセージをテントの外に放り投げると熊はいなくなった。
前日、現地の男性に「食料はテントに入れずに木につるせ」と忠告されたことを思い出した。「これまで一度も熊を見なかったので自分は襲われないと過信していた」と反省した。
徒歩の2人が出会う
カナダ東部オンタリオ州で奇跡的な出会いがあった。
11年7月7日、森の中の一本道でベビーカーのようなカートを押して歩く男性に会った。00年から徒歩で世界中を歩いているカナダ人のジャン・ベリボーさんだった。ジャンさんのことはインターネットで調べたことはあったが、会うのは初めて。
バイクや自転車で世界一周の旅をする人はいるが、徒歩の人はめったにいない。
「広い地球で2人の旅路が交差したのは奇跡だ」。互いに驚き、固い握手を交わした。その時にジャンさんが言った言葉が、なぜか頭に残った。
「アフリカ・イズ・ビューティフル」
北米大陸横断後、空路でオーストラリアに向かい、南部メルボルンから北に歩き始めた。
過酷な砂漠を進む
「全てを投げ出したくなった」。12年4月から約2カ月の砂漠の旅は、最も過酷な思い出の一つだ。南北2500キロ。人が住む地域は200キロ間隔。その間は水を補給することができないため計30リットルの飲料水を運んだ。
砂漠の道は単調だ。赤茶けた大地に低木が点在する景色に飽きてしまい帰国も考えた。しかし2大陸横断した今までの旅が無駄になると思い、200キロごとの休憩地点のたびに好きなビールとハンバーガーで自分を励まし、北部ダーウィンを目指した。
過去への決別
オーストラリアの後は東南アジアを北上し、出発から4年半が過ぎた13年6月9日、上海人民広場に戻り地球1周を達成した。歩き始めた時は一人だったが、ゴール地点には、当初旅に反対していた母淑子(としこ)さんと親戚が横断幕を掲げて待っていた。
翌日、心境の変化をメールで尋ねると、吉田さんは「長い時間はかかったが、一つの事をやり抜く事ができた。(何事も続かない性格だった)過去への決別ができた」と答えた。(続く)
1回目は↓