7万7500キロを踏破して手に入れたもの リアカー引いて世界を歩く(3)

 地球1周を達成し、一時帰国した吉田正仁さんだったが、途中出会ったジャン・ベリボーさんの言葉は、胸に刺さったままだった。「アフリカ・イズ・ビューティフル」。ついに2014年9月、エジプト北部のアレクサンドリアを出発、アフリカ大陸縦断を始めた。

テント設営を物珍しそうに眺める子ども=14年12月17日、エチオピア (吉田さん提供)

底ついた飲料水

 14年11月21日、スーダンの首都ハルツーム南方。日中の気温は40度以上だったので、昼間は木陰で休み、夜間を中心に歩いていた。そんな時、携帯する飲料水が底をついた。小さな集落には水を売る店がない。現地の人に水をもらえないかと尋ねると、にごった池を指さし、おわんで水をくんでくれた。

スーダンで飲んだ池の水=14年11月22日、スーダン(吉田さん提供)

 意を決して飲むとのどごし爽快だったが土の味がした。翌日も別の池の水を飲んだが、今度はガソリンのような後味が舌に残った。「これこそが徒歩の旅の妙味」。そう感じた。

 エチオピアではテントを設営するたびに興味津々の子どもたちに囲まれ、ザンビアでは野生の象に追われ、南アフリカでは強盗にパスポートを盗まれた。

 少数民族にも出会った。下唇に皿をはめた女性や化粧を施し装飾品を身に付けた男性。独自の文化を守りながら暮らす姿に、アフリカの美しさを見た。アフリカ南端の喜望峰に到着したのは15年7月だった。

輝く氷河抱くアンデス

 南米大陸南端のアルゼンチン・ウスアイアを15年10月に出発。太平洋沿いに北上する際、絶景に心を奪われた。ペルーのワスカラン国立公園。輝く氷河を抱いた標高6千メートルのアンデス山脈。澄んだ青空。斜面を走る雲の影。「今まで見た中で1番の景色」だった。4日間かけて天空の散歩道を味わった。

 中南米を抜けて米国、カナダを北上し18年5月13日、終着点としたカナダ北極海沿岸の町トゥクトヤクトゥクに到着した。北極海は凍り付き、銀世界が広がっていた。「やっと着いた」。独り言は強風にかき消された。

絶景に心を奪われたペルー・ワスカラン国立公園=16年9月6日、ペルー(吉田さん提供)

やろうと思えばできる

 記者は鳥取支局で勤務していた08年12月27日未明、冷たい雨が降る鳥取駅の長距離バス乗り場で吉田さんの出発を見届けた。当時は記者2年目。年齢が近い吉田さんの旅に興味を持った。

 最初は自由な海外放浪を「うらやましい」と思った。だが冬山での凍傷や酷暑の砂漠縦断など苦行とさえ言える旅をしていることが分かり、うらやましいと思う気持ちはなくなったが、長い旅を通じて何を得るのか確かめたくなった。

 地球1周の節目には上海に駆け付けて尋ねた。「何を手に入れたのか」。問いかけには「次の旅の挑戦権」と応じた。

鳥取市の自宅に戻った吉田さん。9年半のリヤカーの旅で靴21足を履きつぶした=18年6月9日、鳥取市

 吉田さんは東日本大震災で被災した福島県浪江町にいる友人から、こんなメールを受け取った。「原発のおかげで何も復興しないけど、吉田みたいに一歩ずつだな。なんか救われたわ。サンキュー」。知らない米国人の男性からもインターネットを通じて「君に感化されて徒歩の旅に出たよ」とメッセージをもらった。

 何事も長く続かない中途半端な自分を変えるための挑戦だった旅。「何を手に入れたのか」。再び吉田さんに尋ねた。満足そうな表情を浮かべ「人間、やろうと思えば大抵の事はできるという可能性を示せた」と話した。(終わり、共同通信・原子力報道室=広江滋規)

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