日本の絶対的存在に バスケットボール 田中大貴 2020に懸ける長崎県勢 File.3

「東京五輪に出て、お世話になった人たちに恩返しがしたい」と語る田中=雲仙市、国見高

 田中大貴(A東京)は「自分は運がいい」と言う。2016年に始まった「Bリーグ」。この国内男子最高峰の舞台で2代目王者となり、チャンピオンシップのMVPも受賞した。2020年東京五輪はプレーヤーとして脂が乗った28歳で迎えられる。そんな時代に第一線で輝けるという巡り合わせは、誰しもに与えられる幸運ではないと思っている。

 ■見えた可能性

 男子代表は1976年モントリオール大会以降、五輪に出ていない。東京五輪の開催国枠も与えられていない。枠獲得のためには、最低でも2019年ワールドカップ(W杯)出場が必要。現在、日本は9月のアジア2次予選出場を決めており、あと一歩のところまではい上がってきている。

 これまで低迷が続いていた日本に見えてきた明るい道すじ。東海大3年から代表入りした田中にとっても、東京は「レベルアップのモチベーション」だ。身長203センチで20歳の八村塁(米ゴンザガ大)ら若い力の台頭も頼もしい。

 ただ、そこで若手にポジションを譲る気はない。2年後にメンバー入りするのは「当たり前」。それだけではなく、中堅以上の立場となるそのころは、チームのまとめ役になると決めている。長崎西高時代から体に染み付いたディフェンスへの高い意識、少ないチャンスで内外角から効率良く決めるシュート力-。あらゆる技術を磨きながら。

 ■主力から柱へ

 Bリーグを制した2017~18年は覚悟を持って臨んだシーズンだった。14年にA東京の前身、トヨタ自動車東京に入って以降、旧ナショナルリーグを通じて優勝はゼロ。年々メンバーが入れ替わる中、チームに残り続ける責任を感じていた。

 エースからリーダーへ。求められる役割が変わってきた時、理想の選手像を模索してみると、勝つチームには必ず「絶対的な存在」がいた。圧倒的なプレーで引っ張るだけではなく、どんな時もぶれない柱のような。日本で今、思い当たるのは「田臥さん(勇太=栃木)しかいない」。

 Bリーグ元年の2016~17年に優勝した栃木は、本当に強かった。そこで自分の役割を全うし続ける先駆者は、代表チームで試合や生活を共にしても、存在感が違った。後輩は先輩の背中をよく見ている。プレーや練習に取り組む姿勢、普段の行動からリーダーの自覚を持つよう心掛けた。目指す高みは「日本代表での絶対的な存在」だ。

 夢舞台が開幕する2020年7月24日まで、2年を切った。海外勢との戦いに慣れるため、今後は国外挑戦も視野に入れている。出場できる確証もなければ、逆に評価を落とす可能性もある。イチかバチかの賭けになるかもしれない。

 でも、全国16強が最高だった高校時代から、常にトップを見据えて、自ら考え、努力してここまで来た。カテゴリーが上がっても、変わらないそのひた向きさが、いい時代に巡り合わせてくれたのだろう。エースは運を自ら引き寄せる。

【略歴】たなか・だいき 富津小2年からバスケットボールを始め、小浜中から長崎西高に進学。U18日本代表候補に選ばれ、東海大3年からは日本代表入りした。4年時は全日本大学選手権でV2、2年連続でMVPを獲得。2014年、A東京の前身のトヨタ自動車東京に入団。Bリーグ17~18年シーズンで初優勝を飾り、チャンピオンシップのMVPに輝いた。ポジションはSG。背番号は24。192センチ、92キロ。26歳。雲仙市出身で、17年から「雲仙ふるさと大使」を務めている。

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