華やかさに憧れ、花魁ミュージカルに挑戦 記者が太夫の衣装で歌って踊る! 旭川・さんろく祭り

花魁ミュージカルで踊りを披露する鰍沢恵美里記者(中央)=3日午後、北海道旭川市

 「花魁(おいらん)ミュージカルって華やかで楽しそう」。今年6月、北海道旭川市で手にしたフリーペーパーの出演者募集の記事が目に留まった。かつてにぎわいをみせていた旭川の繁華街「さんろく街」の活気を取り戻そうと始まった「あさひかわさんろく祭り」の中のイベント、珍しい「遊女」衣装での屋外ミュージカルだ。

 きらびやかな着物を着て踊ってみたいという気持ちを抑えきれず、気づいたら事務局を訪ねていた。

いきなり歌のオーディション?

 募集記事を読み、出演したくて来たと伝えると、運営担当者にいきなり聞かれた。「今日の夜って予定ありますか。歌のオーディションをしたくて」。

 え、そんなことどっかに書いてあったっけ? いきなり予想外の展開で気が動転した。ただ、この日は夜空いていたので、急きょオーディションを受けることに。その後、支局長にオーディションのことを話すと、ロングトーンがある曲がいいとアドバイスされた。いくつか候補を考えながら向かった。

 会場は、2015年の初演から舞台演出などをしている森禎宏(もり・ただひろ)さん(55)が経営する飲食店。店内には私と森さん、運営担当者、バーテンダーの女性の4人。数が少なくてちょっと気持ちが楽に。そこに「なに歌える? 言ってくれればピアノで伴奏するから」と森さん。

 私は柴咲コウの「かたちあるもの」と山口百恵の「プレイバックPart2」の2曲を歌いますと伝えた。人前で歌うのは取材先や友達と一緒のときくらいだ。けれど、中学から吹奏楽部に所属していて、音楽は少しだけ自信があった。一通り歌い終えると、手がじっとり汗ばんでいた。森さんの顔をおそるおそる見る。「合格。7月から練習あるから参加してね」。

 やった、参加できる! ひとまずほっとした。

 どこをチェックしていたのか聞いてみると、ミュージカル後半にあるソロができるかどうかを判断していたという。「高い音が歌えないと難しい」。声、高いところなんとか出てて良かった。

今年の花魁ミュージカルの台本

出演はママさんたち

 花魁ミュージカルは、さんろく祭りが36回目を迎えた2015年に始まり、今年が4回目。36回目とさんろくの語呂がいいこともあり、新しい企画を事務局で考えていた。市民劇団で舞台演出の経験がある森さんが協力し「屋外ステージを使ったミュージカルを」と提案。ふだん飲食店で働く女性たちが、かつて遊郭で栄えたこの地で花魁の衣装に身を包み、過去から現在まで共通する「おもてなしの心」をテーマに、オリジナルのストーリーを作り上げた。

 旭川市史などによると、遊郭が市内にできたのは1898年。その後、陸軍第7師団の兵舎ができて栄えた。1907年には第7師団の近くにも遊郭ができた。最盛期には二つの遊郭にあわせて約50軒が並んだという。

 ミュージカルのタイトルは「〝遊郭〟から〝さんろく〟への想い」。物語の進行役である口上師が、時をつかさどる女神に導かれ、旭川に遊郭があった時代から現代までを旅する。キャストは約50人。

 女神役は今年のさんろくクイーンコンテストで選ばれたミスが、花魁役は準ミスが務める。主にコーラスを歌ったり、踊りを披露したりする太夫は私を含め10人。うち8人がさんろく街の飲食店のママや女性たちだ。

 旭川市の人口は86年の約36万5千人をピークに徐々に減り、2013年に35万人を割った。18年8月現在、約33万8千人になっている。初演から太夫を務め続ける飲食店のママ油谷涼(あぶらや・りょう)さん(46)は旭川出身。20歳の頃からさんろく街で働き始めた。「昔に比べると今は元気がないという印象。だからこそミュージカルを祭りの定番の企画にして、もっとたくさんの人に見てもらえたら」。街の発展を願って舞台に立っている。

舞台演出などをしている森禎宏さん(右)から踊りの指導を受ける鰍沢恵美里記者(左)=1日午後、北海道旭川市

レコーディング初体験

 7月上旬の初練習。まずは冒頭の場面で扇子を使う踊りを練習した。イメージを膨らますために昨年のミュージカルの映像を見た。見よう見まねで振りを覚えていく。「そこはもっと手を挙げて」「指先まで神経を使って」。ママたちがにこにこしながら教えてくれる。でも、踊りの初心者の私はリズム感がなくてうまく覚えられず、顔が引きつっていたと思う。出る以上迷惑は掛けられない。支局員が帰った後、会社で自主練を繰り返した。

 7月中旬には、本番で流す歌のレコーディングがあった。初めての体験。テンションが上がった。ヘッドホンを装着して、マイクに向かう。歌詞は「信じられる 人に出会えた そのぬくもりが今私の勇気」。20秒ほどだ。レコーディングする部屋の外で森さんからの指導が入る。「もっと気持ちを込めて」「テンポがずれないようにカウントを取って」。カラオケとは違いガイドボーカルがないため、歌っているとテンポや音程を見失ってしまう。何回か歌い直して終了した。

 翌日。森さんから電話がきた。「今から時間ある? スタジオまで来てくれる?」。どうやらやり直しらしい。何か変なところあったっけ、と運転をしながら昨日のことを考えた。

 スタジオに着くと、森さんに「音程がずれてるところが気になって。もう1回とろう」と言われた。前日に録音したものを聞くと確かにずれてる。これはちょっとまずい。次こそ頑張らなきゃ。マイクに向かって気持ちを込めて歌う。「音程がずれるのはおなかに力が入ってないからだよ」。4回ほど歌い、やっとOKをもらった。

全体練習、そして本番

 レコーディングが終わると本格的に踊りの練習が始まった。週2回で、1回2時間半ほど。7月下旬には全体練習が始まった。

 

踊りの練習にいそしむ鰍沢恵美里記者(中央)=1日午後、北海道旭川市

太夫役は衣装の振り袖の裾を引きずりながら踊る。踊っていると裾が足に絡まり転びそうになる。何度も踏ん張って耐えた。自信がなく、足元ばかり見て踊っている私に、森さんが「前を向いて踊れ!」と厳しい声を飛ばした。

 もともと小心者の私は、本番が近づくにつれ不安が募った。頭が痛くなったり、夢の中でも練習している自分を見たりしていた。本番が迫ってきた。

 本番当日の8月3日。控室に集合し、メークを直したり、衣装を着付けてもらったりした。練習のときよりもきつく着付けられた着物に気が引き締まる。舞台に向かう途中、観光客の声援が聞こえ、写真も撮られた。心臓のばくばくする音が聞こえるほど、緊張が高まっていた。ステージ裏で、練習通りにやれば大丈夫、と自分に言い聞かせる。

 午後9時10分、舞台が始まった。交差点の一角にステージが設けられ、歩道や車道も舞台の一部になる。

本番で踊りを披露する太夫役のメンバーら=3日午後、北海道旭川市

 踊り始める場所に立った。目の前に大勢の観客。圧倒され、冒頭の踊りで振りを間違えた。ワンテンポ速く踊ってしまった。頭は真っ白。「やば、どうしよう」。でも、なんとか続けなきゃ。必死で踊り続けた。

本番で踊りを披露する鰍沢恵美里記者(左)

 後半は、太夫役がそれぞれソロで歌ったり、せりふを言ったりするシーンがある。観客から注目されるところだ。もう、人生で一番ぐらいに緊張している。でも、冒頭の踊りでミスしているし、ここは絶対ちゃんとやりたい! 太夫になりきるんだと思いながら演技した。無事終わると、余裕が出て、観客を見渡すことができた。取材先や記者の見知った顔が分かり、少しほっとした。

本番最後のシーンで整列するキャストら

1人でも多くの人に

 約30分間の舞台は、終わってみればあっという間だった。ステージ裏に帰ってくると、感極まって泣いている人も。終わってしまったんだという思いと、終わってほしくないという気持ちがないまぜになり、胸が熱くなった。一生忘れない、旭川の夏の思い出ができた。

 事務局によると今年のさんろく祭りの3日間の観客数は昨年よりも約2万人多い約57万人。ミュージカルの会場には1万人が集まっていた。一人でも多くの人に旭川に来て、祭りを、そしてミュージカルを観てほしい。そう思った。(共同=鰍沢恵美里24歳)

取材を終えて

  最初は気軽な気持ちで出演しようとしていた。でもオーディション、レコーディング、踊りの練習と経験していくうちに、一つのものを作り上げたいという思いで一生懸命になっていた。

 そして、街を盛り上げようとする森さんや事務局、飲食店のママたちの必死な思いに胸を打たれた。ママたちは週2回とはいえ、自分の店を空けて練習に参加しなければならない。いつも笑顔だったが、裏には苦労があったはずだ。

 「私たちは一つの舞台を作り上げた同士。来年も一緒に出ようね」と涼ママに言われたときは本当にうれしかった。この取材がなければ出会えなかったかもしれない人たちと一夏を過ごせたことは、かけがえのない宝になった。こんなに熱い思いがこもった花魁ミュージカルを来年、1人でも多くの人が見に来てくれることを願ってやまない。

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