自動車の神様を祭る農村、実は2000年の歴史を持つ信仰の対象―河北省

場所は河北省保定市の易県。古い歴史を持つことでも知られている地域だ。史記の刺客列伝の舞台のひとつにもなっている。燕国の太子の願いを受け、秦王・政(後の始皇帝)の暗殺に向う荊軻(けいか)が、最後の別れの際に「風蕭々(しょうしょう)として易水寒し。壮士ひとたび去りてまた還(かえ)らず」と、生還を期さない思いを歌った場所が、この易県とされる。

さて、現地の人が崇拝しているのが「奶奶(ナイナイ)」と呼ばれる女神だ。この場合の奶奶は、年配の女性のことだ。後に後漢の光武帝となる劉秀(紀元前5年~紀元57年)が敵に追われて逃げる際に農婦にかくまってもらい命を救われ、「奶奶廟」を寄贈したと伝えられている。

その後、地元の人はさまざまな奶奶様を作り、拝んできた。「子授けの奶奶」「商売の奶奶」などだ。もともと奶奶様とはおひとりだけだったはず。新浪網によると、廟で働く人は「お願いごとの種類に対して足りないと思ったら、(奶奶様を)どんどんつけ加えた」と説明したという。どの奶奶様もふくよかな女性のお顔だ。記事は「説明がなければ、全く区別がつかない」と紹介した。

奶奶様の廟の近くには「車神」様を祭る廟もある。地元の人もその由来を知らず「あれは偽物。もともとなかった」と言う人もいる。ただし、奶奶廟の関係者は「れっきとした神様」と説明。本来は奶奶様の馬車の御者で、人々は馬車の安全を祈ってきたという。だから、「車神」様は本来、鞭を手にしていた。ただし、自動車が普及すると、人々は「車神」様に自動車交通の安全を祈るようになった。そのため、廟の壁には乗用車やトラックの絵が描かれ、ハンドルを握る「車神」様の像も作られるようになったという。

近年では廟を訪れる人が増えるにともない、地元に落ちる金額も大きくなった。廟がある村には約800世帯があるが、うち500世帯が奶奶廟と何らかの関係がある仕事をしている。地元は奶奶様のご利益(りやく)で経済的利益を得ることができ、貧困を脱することができたという。

衆人が認める功績のあった人を神様にする点で、日本の神道と中国の民間信仰には似ている部分がある。一方で、神像もためらわず現代的にしてしまう点では、日本人の「伝統重視」と中国人の「現実重視」は異なっているかもしれない。(翻訳・編集/如月隼人)

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